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11/16/2013

バンギに生まれた地上の地獄

3月に中央アフリカ共和国で反政府連合セレカが首都バンギを陥落させたとき、もしそんなものがあるとしたらだが、国際社会の反応は大きいものとは決して言えなかった。

多くの眼はその後数ヶ月シリアのいたましい内戦に向けられ、中部アフリカの貧しい内陸国がフォーカスされることは稀であった。

フランスのオランド大統領は、彼は国外逃亡した前大統領の介入要請に応えなかったのだが、中央アフリカが東アフリカのソマリアのようになりつつあると警鐘を鳴らしている。

今の中央アフリカ共和国は無秩序で、政府は存在すれども機能せずである。セレカの兵士たちは略奪、強姦、殺人を好き放題していて治安は崩壊状態にある。

また、感染症が発生しても行政は対応できず、国民はまともな医療にアクセスできない。既に多くの国民が混乱から逃れて難民化し、周辺諸国に流入している。

そして今、ムスリムであるセレカと、キリスト教徒との間で宗教対立が深刻化しつつあると報じられている。

見捨てられ、忘れられたアフリカの小国の行く末が気がかりだ。

8/29/2013

シリアに直ちに介入することが好ましくない8つの理由

久々の更新となりますが、差し迫った英米仏による対シリア軍事介入についてです。
最初に立場を表明しますと、私は人道的介入を是とします。
その上で今進められているシリアへの介入、限定的空爆という措置について懐疑的に考察したいと思います。


1.重要な(安全保障上の)国益が脅かされていない。
「(国益に)ならぬものはやらぬ」のです。

2.明確で達成可能な目標がない。
はっきりした介入後・戦後の青写真がなければ軍事的に成功しても政治的な成功に結びつけることは困難です。

3.リスクとコストが十分にありのままに分析されていない。
「意図しない結果」をもたらすリスクは常に伴うものですし、泥沼化を避けるために地上軍を派遣せず短期間の限定的空爆にとどめるとのことですが、化学兵器使用の話が出てきてから再検討・見直しを十分にした上での軍事オプションと言えるのかどうか。

4.他のあらゆる非暴力的手段が枯渇していない。
軍事的解決は最後の手段であり、中ロの拒否権で安保理が機能不全に陥っているとはいえ、国連調査団の報告次第では中ロにより真剣にシリア政府に対して働きかけさせる、外交的・政治的解決を図る道はまだ完全に閉ざされてはいないでしょう。可能性は極めて低いでしょうか。

5.際限ない関与を避けるための妥当な出口戦略がない。
今回の介入においては最初からシリア内戦そのものには本格的に介入する意図がありません。深入りしない前提なので出口戦略は必要ないものと解されていることでしょう。事が予定通りに運ばなかったとき、否応なく深みにはまったときになって慌てて戦略の修正を迫られるのは避けたいところです。

6.軍事行動の帰結について十分に考慮されていない。
2や5と関連しますが、化学兵器使用という「レッドライン」を越えたからということで受け身で始める戦いで、どこまで先のことを考えているか、影響について熟慮しているか懸念するところです。

7.軍事行動は(アメリカ)国民の支持を得ていない。
英米両国の世論調査では、空爆など軍事行動を支持しないのが5割超と、賛成する層を圧倒的に上回っています。

8.本当に広範な国際的支持を得ていない。
化学兵器は条約で禁止されており、規範・倫理の面でも当然その使用は許されないものです。また国連推計で10万人以上が既になくなっている内戦を、その一方で自国民に砲火を浴びせるアサド政権を国際社会はよしとしないでしょう。NATOの同盟国やアラブ連盟は介入を支持するでしょう、しかし実際にリソースを割き肩を並べてシリア介入に臨む国は限られています。


これらは所謂パウエル・ドクトリンにおいて設定された、軍事行動を起こす前に全てYesでなければならない質問を基にしたものであり、その全ての設問にNoで答えてみました。

介入はしなければならないでしょう、しかしこのような形で介入すべきではないだろうと率直に思います。気が進まなかったからこそ、人道的介入ではなく、「化学兵器の使用」という高いと思われたハードルを条件としたのでしょう。それが今回、アサド政権側が化学兵器を使用したことで介入を「余儀なくされた」、消極的な形で軍事行動に踏み切ることは、望ましい結果を得られないのではないだろうかと不安にさせられるのです。

今日のような状況に陥って受け身な姿勢で介入を選択することに、シリア戦略は失敗したのではないか? 読み違えたのではないか?と自問します。自分が政策当局者だったら、この条件で軍事介入をしたくはないというのが偽らざるところです。


6/04/2013

[RD]アフリカ調査日報~テロとの戦いinアフリカ大陸

■「神の抵抗軍(LRA)」が中央アフリカ共和国(CAR)軍に編入?【CAR
・現CAR軍の「セレカ(Seleka)」は3月までLRAと同じジャングルで行動していた。
DRCCAR、南スーダンに散り散りになったLRAの総員は250400人。
・セレカとLRAは協調することで合意しており、LRAの安全は保証されている。
(コメント):ボジゼ前大統領が反乱軍によって追われたことにより、近隣諸国との対LRA掃討作戦は暗礁に乗り上げている。中部アフリカ諸国において東部でM23と国軍の戦闘が散発的に発生しているDRCCARは不安定化の度合いを増している。

■米無人機がプントランドに墜落、1週間で2機目 【Somalia
61日早朝、プントランド北東部バリに偵察用無人機が墜落した。
528日にロワーシャベル地方で無人機(Shiebel Camcopter S-100)が墜落したことをペンタゴンが確認済み。

■仏、コートジボアール在住市民にテロの脅威を警戒勧告【Ivory Coast
・仏軍のマリ介入後、サヘル一帯の周辺諸国で報復テロのリスクが高まっている。
・コートジボアール政府は北部国境の警備を強化し、過激なイマームを緊密に監視しているほか、アビジャンの空港の警備も固めている。

■セルヴァル作戦とサヘル一帯に拡散するテロリズム【France】【Mali】【Niger
フランスがマリでの軍事介入に踏み切る前は同国北部を支配下に収めていたイスラム過激派勢力が南進しつつあったが、マリ政府・国軍が完全に制圧される前に押し返し、同国北部諸都市を奪回したのは成果と言えよう。しかしイスラム勢力の掃討には成功しておらず、テロリズムを減衰させ封じ込めるには至っていない。

■米国、北アフリカのイスラム過激派に懸賞金【North Africa
・米国務省によると、懸賞金の最高金額は「ボコ・ハラム」指導者アブバカール・シェカウの700万ドル。
・モフタール・ベルモフタールには500万ドルの懸賞金が掛けられた。
・このほか、AQIMの上級司令官の1人であるYahya Abu el Hammam500万ドルが、AQIMMUJAOのスポークスマンを務めるマリク・アボウ・アブデルカリムの情報に300万ドルの懸賞金が掛けられた。2人は北西アフリカの襲撃・誘拐を計画したとされており、その一例は2008年のニジェールにおけるカナダ人外交官を身代金目的で誘拐した事件が含まれる。あ

5/30/2013

Rainy season has come.


日本の軍事面での「再興」は安倍政権下で防衛予算が久方ぶりに増加していることもあって加速しつつあるけれど、歩みは慎重にしないと大国日本も中国同様に近隣諸国の警戒の対象になりかねないよとディフェンスニュース。(Editorial: Japan Must Tread Carefully

ミイラ取りがミイラではないが、軍拡を進める中国を恐れて対抗策を打ち出したら日本が恐れられるようになったというオチがつかないように、日本を突き動かしているエンジンがナショナリズムだと見られないように振舞うことが求められる。

集団的自衛権の行使解禁、NSCや諜報機関の設置と法令整備と、既に出てきている政策課題のどれをとっても、対内的にもまた対外的にも、誤解を招かないようにコミュニケーションを怠らず進めていくことが望ましい。

今のまま行けば夏の参議院選挙は勿論、次の衆議院選挙も比較的ラクに勝利を収めて政権基盤を固められる(イデオロギー色の強い諸問題に嵌まりすぎなければ、という条件付きで)情勢にあるという前提に立って、順次政策を形にしていくことができる。それだけの政治資本と、ダイナミズムある防衛政策を許容する外部環境が整っているという好条件を決して無駄にしないでいただきたいもの。

もう一つ紹介したいのが、クリスチャン・サイエンス・モニターの記事で、米国では働く女性・母親が一家の稼ぎ頭になっているというピュー・リサーチ・センターの調査を取り上げたもの。そのうち、シングルマザーはアフリカ系やヒスパニックの、若く大学に行っていない女性が多く、一方で結婚していて夫より稼いでいるのは白人で学位取得している女性だという。

米国では労働人口の47%を女性が占め、うち結婚して働く女性の比率は1968年の37%から2011年には65%まで増えている。この大きな変化の背景には、米国の製造業をはじめとする伝統的な「男の仕事」が大不況の間に消えたこと(elimination)が部分的にあると見られている。

製造業が生き残っていてエンジニアや職人の働く場所が多い日本の産業構造だと、女性の社会進出がスロウリーになるのもある程度むべなるかなと考えさせられるかな。

現在の米国のように、社会進出し働きつつ結婚して子育てもしている女性が増えると、彼女らの求める家族に優しい、子育てをサポートする政策がより好まれるようになる可能性が高くなるかもしれない。


5/19/2013

X-47B:米海軍の無人空母艦載機、発進テスト成功

「これは一歩(a step)以上だ。これは海軍航空隊の未来への一跨ぎ(a stride)だ」(Ted Branch大西洋海軍航空隊司令官)

「今日は海軍にとって記念すべき日だ」(Mathias Winter海軍プログラムエグゼクティブオフィサー)

5月14日に米海軍は開発中の無人機「X-47B」がヴァージニアの約160km沖で空母ジョージ・H・W・ブッシュ甲板から発進飛行テストに成功したと発表しました。(Defence News、動画有り)

開発中の同機はF-35の2倍の航続距離を有し、将来はステルス性能と攻撃能力を持つものと見られています。

ノースロップ・グラマン社が海軍の無人戦闘航空システム(UCAS)のために開発した試作機は2機あり、今後は陸上での着陸試験を繰り返した後に夏に空母への着艦試験を行なうとのこと。

無人空母艦載機の試験飛行は今年中に終了し、来年以降は攻撃任務に従事するためのオペレーショナルな空母艦載機を開発する、無人空母発進航空偵察打撃システム(UCLASS)と統合されることになる予定です。

未来の戦争はテクノロジーの進化によってますます無人化が進められていくのでしょう。その方向に着実に向かっていることを再確認させてくれます。X-47B開発の今後に注目ですね。

4/22/2013

民主化はミャンマーのムスリムたちを幸せにできるか?

民主政治は最悪の政体なんて、半分アメ公の血が流れてて頭の中に黒い犬を飼っていた、葉巻とアルメニアン・コニャックが好きな英国人は嘯いていた。民主主義の水で育ち民主政治の酸いも甘いも噛み分けてきた、先進諸国の人間からすれば、勿論民主主義は独裁・専制よりも「優れて」「良い」もので、ゆえに民主化は称揚され支援される。しかし民主化への営みが必ずしも福利を国民にもたらさないことは、ジャスミンの残り香も消えたチュニジアやエジプトを見ていれば、否定はできまい。


さて、先週はミャンマー/ビルマの民主運動家にして現在は同国国会議員、野党「国民民主連盟(NLD : National League for Democracy)」を率いるアウン・サン・スー・チー女史の27年ぶりの訪日がニュースで大きく取り上げられました。

ご承知のとおり、ミャンマーはつい2年前にテイン・セイン現大統領の下で軍政から民主化へと改革がはじまり、これを評価する欧米から長年続いた経済制裁を解除・緩和されて経済発展の道程を歩みつつある、アジア最後のフロンティアです。

しかし約1年前に連邦議会の補欠選挙でスー・チー氏が当選して議員となり、メディアへの検閲が廃止されこの4月からは民営の日刊紙が創刊されるなど、順調に民主化への道程を、欧米や日本の支援を受けながら歩んでいる国の影の部分も強く浮き彫りにされています。

先月にミャンマー中部、マンダレー地域のメッティーラ(メイッティーラ)で仏教徒がムスリムを襲撃する事件が発生し、周辺地域に拡大した騒動で40人以上が亡くなりましたが、その時の光景をミャンマー警察が収めていたものがBBCで取り上げられました。

折しもヒューマン・ライツ・ウォッチ(HRW)が、昨年5月末から断続的に西部ラカイン州で発生した宗教間対立による(ラカイン族・仏教徒とイスラム教徒の少数民族・ロヒンギャの)衝突について、ミャンマー政府が「民族浄化(ethnic cleansing)」を”共謀”していたと非難する報告書を発表しましたが、改革を進めるミャンマーにとってこの問題は、おそらく自由民主化が進むほどに糸が絡まっていくものと思われます。

ミャンマ-国民の多く、90%は仏教徒です。彼らはロヒンギャを同じ国で共生する民族でなく、不法移民と見なして冷遇してきました。昨年のラカイン州の騒動で反イスラム感情は強化されたことでしょう。

こうした中、ミャンマーが民主国家として成長すればするほどに、大統領はじめ政治家は国民感情に背を向けてロヒンギャはじめイスラム教徒を擁護するのが困難になってきます。

現にアウン・サン・スー・チー氏もつい最近までイスラム教徒に立って声を上げず、人権団体等から沈黙を批判されてきました。彼女もまたビルマ族、仏教徒であり、国民の多くに支持される政治家としてイスラム教徒に対する攻撃を強く批判することができません。

民主化が進むにつれミャンマーのムスリムに対する風当たりがますます強くなるのではないか、不安にさせられる理由はもう一つあります。それは民主化に伴うメディア統制の緩和です。

メッティーラの事件が発生したとき、最大都市ヤンゴンでもイスラム教徒による報復の噂や敵意を煽るメッセージが流布されましたが、それらはSMSやFacebook、Twitterを介して広まったと指摘されています。市民が自由に情報にアクセスできるようになったこと、インターネットを使えるようになったことで、ネガティブな情報や噂もまた氾濫しやすくなりました。

全体としてミャンマーの民主化は歓迎すべき出来事ですし、圧倒的多数の国民が自由を享受し始めていることは良いことです。しかしその一方で複雑な問題、それも民主化により軍政時代よりも悪化するかもしれない問題が存在していることを肝に銘じる必要があります。

2015年に大統領を目指すアウン・サン・スー・チーや、テイン・セイン現大統領にとって、好転するミャンマーのイメージを傷つけるおそれのある宗教対立とマイノリティの問題は、リーダーシップを試していると言えるでしょう。ミャンマーの民主化がこの先イスラム教徒を排斥するものとならないことを祈るばかりです。

4/20/2013

中国国防白書2013と「核の先制不使用」政策

中国外務省の軍縮局長がジュネーブで「日本に対して核兵器は絶対に使わない」と発言したと、時事通信(2013年4月20日アクセス)などが報じました。また読売の記事(同日アクセス)では「中国は非核兵器国への核兵器不使用を明確にしている」と記者会見で話したとされます。

中国が核兵器を先制使用しないというのは過去の国防白書などでも次のとおり明示されてきました。
中国は国連安全保障理事会の常任理事国と『核兵器不拡散条約(NPT)』を締結する核兵器国として、いついかなる時も、核軍縮の義務を回避することなく、公開、透明、責任を負う核政策を実行している。中国は一貫して、いかなる時、いかなる情況の下でも、先に核兵器を使用しないという政策を厳守し、非核兵器保有国と非核地帯に対しては、無条件で核兵器を使用しないか、または核兵器の使用をもって威嚇しないことを明確に約束した。2010年度「中国の国防」白書和訳
しかし4月16日に公表された最新の国防白書 (英語版日本語訳)においては、中国の過去の戦略文書において重要な礎石であった、はっきりとした「核兵器の先制不使用」に関わる記述が抜けおちています。

2010年の「中国の国防」では「十、軍備抑制と軍縮」という項目があり、ここに前述の核兵器の先制不使用について書かれていましたが、今回の白書では項目は5つに減らされ、軍縮に

先ずは英語版で関係する箇所を抜粋して見てみましょう。

If China comes under a nuclear threat, the nuclear missile force will act upon the orders of the CMC, go into a higher level of readiness, and get ready for a nuclear counterattack to deter the enemy from using nuclear weapons against China. If China comes under a nuclear attack, the nuclear missile force of the PLASAF will use nuclear missiles to launch a resolute counterattack either independently or together with the nuclear forces of other services.
当該箇所の日本語文は次のとおり。国が核の脅威を受けた際は、核ミサイル部隊は中央軍事委員会の命令によって、警戒レベルを高め、核による反撃の準備を整え、敵を威嚇し中国に対する核兵器の使用を抑止する。国が核攻撃を受けたときは、ミサイル核兵器を使用し、単独あるいは他の軍種の核戦力と共同して、敵に対し断固たる反撃を加える。 核兵器で攻撃を受けた際には中国も核兵器を使用して反撃する。このことについての記述のみ残っています。

中国は1998年から国防白書を出しており、今回が8度目になるのですが、過去の文書では必ず「核兵器の先制不使用」についてはっきりと言及していました。

この変化は重要です。また、何を書いているかと同様に何が書かれていないかも中国の政策を理解する上で鍵となるでしょう。

カーネギー国際平和財団のジェイムズ・アクトン氏が19日のNYTでこの点に着目するとともに、習近平国家主席が、核兵器を先制使用しないという約束を演説に入れていなかった(In the speech, Mr. Xi did not repeat China’s no-first-use promise.)ことから、中国の核ドクトリンが"China might use its nuclear weapons first"へとシフトしている可能性を指摘しています。

米中間で核について、高いレベルで継続的に協議・軍事対話を行なう必要があるとアクトンをはじめとして考えている安全保障専門家は多いのですが、どうも中国側が抵抗を示しているようです。

冒頭の中国の軍縮局長の発言は、特定の国(日本)に触れた点で異例とのことですが、「非核兵器国への核兵器不使用を明確」にした一方で核の先制使用について明確に否定しなかった、もっと言えば米国に対して核兵器を先に使用する可能性があるという含みがある点で疑心暗鬼にさせる発言でもあるでしょう。

そもそもこのような発言が出たのは、先の国防白書「中国の戦力の多様な運用」を受けて記者が質問したからではないかと推測しますが。。。

4/19/2013

チョーク・ポイントを狙え

USS Freedomがシンガポールに到着した。

米国が沿海戦闘艦(LCS)をシンガポールに配備するというのは新しい話ではない。両国は計4隻のLCSをシンガポールにローテーションで配備することに合意している。

緊張が高まっているらしい朝鮮半島からやや離れた地で、米国のアジアへのpivot、あるいはリバランシングと呼ばれる戦略が動いている。

先日公表されたSIPRI、ストックホルム国際平和研究所の報告書によれば、米国の世界の軍事費に占める割合は39%と4割を切っているが、2位の中国(9.5%)以下10位ぐらいまでの国を合わせたよりも多額を支出している。

(ちなみに欧米が財政難などから軍事費を削減したこともあり、最新の世界の軍事費は10数年ぶりに減少した)

米海軍のプレゼンス強化は、グローバル経済の大動脈とも言えるシーレーンの安定と、それから地域の安定に資することを目的としている。

このような動きを面白く思わないのは中国だ。最新の国防白書では同盟国や友好国との関係を強化する米国を地域を不安定化させると牽制している。

国際エネルギー機関(IEA)の過去の報告によれば、2030年に中国は全世界のエネルギー消費量の4分の1を占めると予測され、原油消費量だか輸入量だかも2005年の4倍になると見られている。

その石油はどこから来るか? 陸上にパイプラインを建設するとしても、依然として多くは海を通って運ばれることになろう。常に中国は古くて新しいマラッカ・ジレンマに直面することになっている。

この地政学で言われるところのチョーク・ポイントに手をかけられるポジションを米国は確保している。

そしてこの中国の海洋戦略上のネックは、国防費の削減を迫られ、負担の軽減とリスクヘッジを東アジアのリムランドで必要とする米国に幾分楽でかつ堅実なオプションを与えることになる。

豪ダーウィンの海兵隊駐留、シンガポールのLCS配備、これらは西太平洋からインド洋という21世紀のグローバル経済、そして米国経済にとって多くの機会を与える海域に睨みをきかせている。

LCSの話に戻ると、この艦は浅い海の多い東南アジア海域に向いている上、100人足らずの少ない人数で動かせるのでコストを抑えられる。

今後10か月にわたって東南アジアで米海軍のプレゼンスを固めるとともに、この地域の諸国との演習に参加することになる。

米軍のこの地域の安全保障にコミットする確固たる意志を、多くの地域諸国は歓迎するだろう。

米中衝突を望むものはいないが、米国が存在し中国が軍事的冒険主義に走る可能性を低減してくれることは、グローバル経済の重心が移りつつあるこの地域にとって大いにプラスとなる。

4/17/2013

「秘密保全法」について思うこと

日々取り上げられる政治課題がいくつもある中で、秘密保全法案の話題は決して大きなものでない。

16日の衆議院予算委員会で安倍首相が言及したが、海外で自衛隊が邦人を輸送できるようにする自衛隊法改正のほうによりスポットが当たっていたように見受けられる。

よく日本はスパイ天国と言われるが、情報漏えいを罰せるのが国家公務員法で、懲役1年は軽すぎる。

2010年に警視庁の国際テロ捜査に関する資料が流出する事件があったが、このような事態を未然に防ぐ、あるいは発覚時に対処して情報保全を適切に行なっていく上で、法制度の整備は不可欠だ。加えて、今年1月にアルジェリアで邦人も巻き込まれ犠牲になった襲撃事件があったばかりだが、このような緊急事態に各国の情報機関と連携協力していく上で、情報保全体制に穴があっては齟齬が生じよう。

さて、ここで問題となるのがこれまで議論されてきたように「秘密」の範囲だ。国民の「自由」や「権利」を制限することをやむ無しとすることは正統化できるのは、一つは「安全保障」マタ‐だ。

前述のアルジェリア・イナメナスのような事件は滅多に発生するものではないが、だからと言って情報面で万全の備えができていないがために「予防」も「対処」も不十分となれば、人命が失われる。

ここで、例えば日弁連の「発覚後に再発防止策をとっているから」不要という論は、最初から予防を考えておらず、危機管理意識の欠如が指摘される。また、法整備を疎かにしての再発防止策には限界があろう。超法規的に内々に情報漏えい者・内通者を処分するのも一つの案だが、法の支配を重んじる国のすることではない。

「外交」もすぐに公開されるべき類ではない内容が含まれている。現在進行形のTPPがいい例だが、交渉参加国は保秘をしっかり行なっている。それは各国が国益を守るためでもあるし、信頼なくして交渉事を進めることはできないからだ。

特にこの二つの領域において憲法で保障されたものより優先されるものがある、というのは他の自由民主主義国においても、戦時・有事にあっては標準的である。

と同時に、「国益」や「公共の利益」の名の下にバランスが損なわれることがないよう、一定期間を経ての情報公開の枠組みや公文書保存のルール、立法府の監視など併せて制度に盛り込む事項があると考える。

国家が存続して主権を行使できなければ憲法も、そこに書かれた自由や権利も脅かされる。一方で国家は目的ではなく、守りたい価値を守るための手段・道具だ。その点は安全保障を重視する上でも失念してはいけないだろう。


3/25/2013

中央アフリカ共和国で反政府軍が首都バンギ制圧

まさかの「セレカの1か月戦争」続編。

タイトルの通り首都バンギは反政府軍「セレカ」によって制圧され、ボジゼ大統領は隣国コンゴに逃れた模様です。

1月にボジゼ大統領サイドと反政府軍「セレカ」で停戦和平が成立し、セレカの推す弁護士出身のニコラス・ティアンガエ首相の下反政府勢力や野党が閣僚を出す挙国一致内閣が2月に成立しましたが、3月に入ってからセレカ側が「ボジゼ大統領が合意事項を履行していない」と停戦破棄をチラつかせていました。

最終的に和平が破れてセレカがGamboとBangassouという二つの町を攻撃したのが先週月曜の18日。セレカ側はその直前、国連およびAU(アフリカ連合)との間で行われた和平について協議後、閣僚5人をバンギに戻さず引き止めるなどしていました。

20日にはボジゼ支援の南アフリカ軍撤退や反政府軍の国軍編入などの要求を受け入れられなかったことを理由に正式に停戦破棄を表明し、21日にはバンギの北300kmのブーカ、400kmのバダンガフォの町を占拠しました。

23日から24日にかけて首都で戦闘が激化し大統領府周辺でも銃声が聞こえ、とうとう冒頭の通りに陥落する事態となりました。

混乱している同国の今後ですが、現在のところ空港確保以上のことをしていない、同国に1200人の兵力を駐留させている旧宗主国フランスがどう動くかが注目されます。また、フランスは国連安保理で緊急会議を行なうよう呼びかけたとのことです。(BBC

既に国連現地筋によれば略奪などが発生しており状況は緊迫しています。放置すれば今後も殺戮や強姦が起き、人道上の危機に陥ることが懸念されます。

3/17/2013

TPPはゲームチェンジャー?

ピーターソン国際経済研究所が紹介しているPeter A. Petriらのモデル試算では、環太平洋経済連携協定で最もベネフィットがあるのは日本で、輸出は12%、所得は1060億ドルまたはGDPの2%が最大増える可能性があるという。ちなみにもう一つ進められているRCEPでは所得増は960億ドル、仮に両方進めればGDPの約4%が最大増えるそうな。

不参加の場合は自由貿易"ブロック"から締め出されるということで所得、輸出ともに若干のマイナスという話だが、こちらの数字の方が参加した場合の期待値よりもリアリティがあるように見受けられる。

日本政府の試算(GDPで約3兆円、経済成長率にして0.5~0.6%プラス)にしても、前述のピーターソン国際経済研究所の試算にしても、前提条件がちょっと変われば外れる数字であるが、マクロで見れば日本経済にとってプラスというのは否定し得ないところらしい。

米国側の戦略視点だと、成長するアジア市場に重心を移すのもさることながら、TPPを梃子に今一度中国に対して自由貿易のルールを受け入れさせようとする意図がある。ルールを握る、自らが主導できる秩序を作っていこうとする‐‐米外交評議会のエリザベス・エコノミー上席研究員はジョン・ケリー国務長官が議会の指名承認公聴会で中国に係る箇所で述べたかったことの1つとして指摘している。

それぞれの国がそれぞれの国益を考えて交渉に臨む中、我が国がバラ色の未来を勝ち取ることができると主張するのは無謀だけれども、日本が正式に交渉に参加し、12か国+αの協定としてスタートを切れば、TPPはゲームの流れを変える一手になりそうだ。

日本のTPPを巡る主要メディア上の議論は拾えた範囲で目を通しているけど、今後20年30年のスパンでアジア太平洋の秩序をどうするかという世界観から入ったものよりは、テクニカルな各論を掘り下げたものが目立っている。「入る、入らない」と受け身になっている時点で、選択の範囲は相当狭められているだろう。

国内政治の観点だと、高い支持率がある今だからこそリスクテークできたのだろうし、決断と改革的な姿勢は広範に一定の評価を得られるもので、そりゃあJAはじめ農業団体票が逃げちゃうけれど、野党が弱いのと都市部スウィングボーターの票でカヴァーできるんじゃないかと。

個人的には、TPP参加は早いか遅いかの問題で、ギリギリでも「交渉」できるメンバーであったほうが、後から一方的に条件を呑まされるよりはダメージが少ないのではなかろうかと、肯定します。

冒頭のPetri氏らの理論値のようにおいしい話ではないでしょう。マクロでプラスと見たけど、ミクロでは大打撃を食らう業界、急激な制度変更、慣れないルールへの適合を強いられる業界が出てくるのは不可避です。

みんなを幸福にするのが不可能な中で、不利益を被るところに手当をしつつ、移行期間を設けてソフトランディングさせられるような政策を打ち出すことが不可欠でしょう。ぐらいしか言えないかな。

1/18/2013

ムフタール・ベルモフタール


 アルジェリア・イナメナスでBPのサイトを襲撃した組織の指導者についてのメモです。

 ムフタール・ベルモフタール(Mokhtar Belmokhtar)、またの名はKhaled Abu al-Abbasは、197261日生まれ、アルジェリア中部ガルダイア県出身のイスラム武装組織の指導者である。愛用しているタバコはマルボロらしい。
 1991年頃にアフガニスタンで聖戦に参加、翌92年に帰国し、後にAQIM、「イスラム・マグレブのアル・カイーダ」として知られるサラフィストの聖戦団Salafist Group for Preaching and Combat(GSPC)に加入する。
 20126月、マリ北部アザワド地域でMNLAとの紛争で死亡が伝えられるも、77日に出された声明文で健在を確認される。
 12月初旬にビデオメッセージでAQIMから分派して自らイスラム武装組織「血の署名団」(別名「サヘル旅団」)を結成を表明した。
(過去に関与したとされる事案)
20032月~3月に、アルジェリア南部で複数の観光客グループを誘拐
20071224日、モーリタニアで仏人4人の誘拐および殺害を首謀
200812月、ニジェールで国連関係のカナダ人外交官2を誘拐
20091月、スイス人2人とドイツ人、英国人1人を誘拐
20111月、ニジェールのニアメイで仏人2人を誘拐

 過去の経歴を見る限り、また解放された現地人の証言(サイトの構造に熟知していた云々)からも、仏軍によるマリへの軍事介入が始まる前から計画を立てていたものと推測されます。
 AQIMを離脱して新しい組織を立ち上げたばかりであることから、身代金で資金を得る、あるいは組織の名声を上げてスポンサーから寄付金を集めやすくするのが目的であったかなというのが私見です。

1/13/2013

マリ介入までのグダグダな経緯

 昨年12月20日に国連安全保障理事会決議で北アフリカの国マリに対する軍事介入がオーソライズされ、西アフリカ諸国経済共同体(ECOWAS)を中心に、NATO諸国も関与しての軍事介入が今年起こることは予期されていたことでした。

 同国の事情は(やはり関係がないので)日本から見ればあまり馴染みがないものと思いますが、2011年から続く、中東・北アフリカの混乱の上にあるものと理解していただければ良いでしょう。

 事の発端はリビアの「革命」です。

 カダフィ政権が倒れ、国内の統制が喪失し、畢竟、国境管理もルーズなものとなったため、内戦時に使われた武器兵器の類が近隣諸国に流出してイスラム過激派の武力が強化され、加えてこの戦争に参加し経験を積んだ戦士がマリに戻ってきました。

 最初に北部マリで勢力を拡大したのは少数民族トゥアレグで、彼らの勢力MNLA(アザワド解放民族運動)はマリ軍を追い払って2012年4月6日に独立を宣言、アザワドを建国しようとしました。

 一方、首都バムコでは3月21日に、リソース不足で政府に不満を募らせていた軍部によるクーデターが発生し、最終的にトゥーレ大統領の辞任とトラオレ国会議長の暫定大統領就任という、体制変革を余儀なくされ、とてもアザワド奪回に乗り出せる状況ではありませんでした。

 これだけでも(少数民族勢力独立+軍事クーデター)相当な混乱ですが、マリのカオスはまだ終わりません。

 トゥアレグ勢力MNLAは当初イスラム武装勢力「アンサール・ディーン」や「西アフリカの統一・聖戦運動(MUJWA)」らと共同戦線を張り、5月26日には一時アザワド・イスラム共和国の成立で合意したとされました。

 しかし「民族自決」を志向したMNLAとシャリーアに基づいた国作りを夢見た「アンサール・ディーン」らの蜜月は短く、6月には両者の盟約は破棄され交戦状態に突入しました。

 この衝突はイスラム勢力が優勢で、MNLAは勢力を失い「独立国」アザワドは瓦解し、以来マリの北半分はイスラム勢力の手に落ちることになりました。


(つづく)

1/12/2013

セレカの1か月戦争

2012年12月10日から始まった中央アフリカ共和国(CAR)の反政府軍「セレカ(現地サンゴ語で同盟を意味する)」による約1か月の動乱は年が変わった1月11日に、ガボンの首都リーベルヴィルで3日間行われた交渉の末に、一先ず停戦合意がまとまって収まろうとしている。

日本ではあまり報じられなかった(あまり関係がないから仕方ない)が、英米仏メディアではセレカの怒涛の進軍と為す術もない政府、援軍を派遣をした近隣諸国をはじめとする国際社会の調停努力などが結構大きく扱われていたので、簡単にまとめておく。

CARはアフリカらしく(?)内戦が続いて現在もその残り火が燻っている不安定な国の一つだ。今回の1か月の混乱の背景も、2004年から2007年まで続いたBush Warの処理の不始末がある。

今回、CAR北部の都市ヌデレから首都バンギの北約75kmに位置するダマラ近くまで進軍し、12、3の町を支配下に収めたセレカの目的は、2007年4月13日に政府と当時の反政府勢力との間に締結された和平合意を履行しなかったボジゼ大統領の退陣とされた。

同合意では反政府勢力UFDR(民主統一戦線連合)への恩赦、政治参加の承認、武装解除した兵士への一時金(恩給?)支給などが約束されていたが、これが守られていないというのが反政府陣営の動機となった。

騒ぎが国際社会の耳目を集めるまでになったのは12月10日以降だが、その前の9月頃から、反政府勢力が政府軍の兵士を殺害するなど兆候があった。2012年8月に政府と反政府武装勢力の一つCPJPが和平文書に調印したが、これに反発した同勢力の分派による仕業だと見られていた。

このような経緯があったため、12月10日から11日にかけて、ヌデレと近隣の2つの町が奇襲を受けて陥落したという一報が入ったときも、その後の展開を予期するのは容易ではなかった。おおまかなタイムラインは次の通りとなる。

15日、ヌデレからバンギ方向に120kmに位置するバミングイ陥落

18日、ダイヤモンド鉱山の町でバンギの北東600kmにあるブリアを占拠、ボジゼ大統領の要請を受けた隣国チャドが支援部隊の第一陣を派遣に

19日、バンギの北400km?にあるカボ陥落

23日、この頃から反乱軍がセレカと呼ばれるようになる。第3の都市バンガリを制圧

25日、カガ・バンドロ陥落

26日、セレカの侵攻に対し介入の構えを見せないフランスに怒った群衆が大使館を包囲する。国連がスタッフと家族を退避させたほか、米国も自国民に退避勧告を出す。オランド大統領は大使館警備の強化と自国民保護を命令。

27日、ボジゼ大統領が米仏に支援を要請するも、オランド大統領は拒否、駐留仏軍は自国の利益と自国民およびヨーロッパ市民の保護が任務だとする。

28日、政府軍がバンガリ奪還を試みるもあえなく撃退される。米大使館が業務停止、外交官が国外退避

29日、交通の要衝でバンギから約130kmにあるシブトが陥落。チャド軍とCAR軍はダマラまで後退

その後年末年始にかけて急ピッチで「中部アフリカ諸国共同体(ECCAS)」の枠組みで同国の平和維持活動(MICOPAX)にコンゴ共和国、ガボン、カメルーンが計360人の部隊を派兵したほか、CAR政府と反政府軍の間で調停に入り、1月9日~11日の3日間、最初の触れた和平交渉へと展開していった。

交渉ではボジゼ大統領が任期一杯務めること、反政府側から首相を選出しての挙国一致内閣を作ること、またこの内閣は大統領府からの干渉で解散させられないこと、など合意が出来上がり、双方は合意文書に調印して停戦が正式に成立した。

もっとも、停戦が成立したのには、中央アフリカ政府軍だけならまだしも、強力な近隣諸国の援軍を打破して首都まで進軍する力がセレカ側になかったであろうことも理由として挙げられるんだろう。

1か月で一気に首都まで迫ったとはいえ、面制圧でなく直線的な進軍であり、兵力・装備ともに、脆弱なCAR軍だからこそ排除して進めたのだと思われる。

また、仏軍は結局600人近くまで駐留部隊を増やしたとされているが、介入の意志をまったく見せなかったが、それほどのインタレストが同国にはなかったのか、パワーがなかったのか、国内事情が許さなかったのか、いずれにしても「庭」での対応としては次に取り上げるマリで見せた積極性とは対照的だったのが印象深かった。

1/04/2013

対ミャンマー外交について

麻生副総理が年明け早々ミャンマーを訪れ、3日にテイン・セイン大統領と会談、本日4日には共同開発するティラワ経済特区を視察しました。

テイン・セイン(元軍人・大将)が首相から大統領になったのは2011年3月、以来ミャンマーは民主化路線に舵を切り、未だ軍の影響は強く残っているものの、外の世界の予想をいい意味で裏切ってきました。

長年に渡って軟禁されていたアウンサンスーチー女史は昨年4月に連邦議会の議員になりましたし、テイン・セイン政権は少数民族の武装勢力との和平では、後述するカチン州のKIAを除いてほとんどの主要勢力と停戦に合意するという目覚しい「成果」を挙げてきました。

この急激な変化、そして改革姿勢を評価した欧州や米国が「飴」として、また一層の民主化や少数民族問題の解決を促すための「梃子」として続々と経済制裁の緩和に踏み切ったのが2012年でした。

我が国もこの潮流に乗って、ODA再開、今回麻生副総理が表明した5000億円の延滞債権や500億円の円借款再開を通じてミャンマーの民主化改革と経済発展を支援するのはもちろん、アジアの「ラスト・リゾート」とでも言うべきミャンマーにおいて政治的経済的に強いプレゼンスを確保したいところです。

主要閣僚、それもNo.2が最初の訪問先に同国を選んだのはとても意義深いことですし、新政権発足してすぐというタイミングも絶妙でしょう。日本が率先して延滞債権の解消に取り組むことで、近々開かれるパリクラブ(主要債権国会議)にてこの問題をクリアし、ミャンマーに投資する上での制約を一つ取り除くことに繋がることが期待されます。

しかし一方で、同国へ関与していく上で、少数民族やその人権に関する問題は道半ばの民主化同様に深く考慮されなければならないでしょう。ミャンマー国内では相当なスピードで我々にとって歓迎すべき変化が起きていますが、まだまだ脆弱で可逆的なものであると見ています。

(先月から激化している)北部カチン州の戦闘で政府軍が反政府武装勢力KIA(カチン独立軍)に対して空爆したと報じられ、昨日には軍が軍用機およびヘリを投入したことを認めました。

米国務省のヌランド報道官らが衝突のエスカレーションを憂慮する旨声明を出していますが、ここではもう1点、テイン・セインの政府がどの程度軍をコントロールできているのかも懸念されるところです。しっかり手綱を握って攻撃を自制させなければ、政権の和平に対する本気度合いが疑われるところでもあります。

最後の反政府武装勢力KIAとの停戦が破られて交戦状態に入ったのが2011年の6月ですが、戦闘の長期化と、昨年幾度となく噴火した西部ラカイン州のロヒンギャ問題は、これまでテイン・セインが積み上げてきた彼と彼が統べる国の評価に傷をつけるものです。

麻生副総理はこれら少数民族問題を担当し、テイン・セインの側近でもあるアウン・ミン大統領府相とも会談しました。

年末年始に紛争が激化してから最初に同国を訪れた主要国の政治家として、やんわりと言うべきことは言ってくれたのではないかなと思います。

日本としては地政戦略的にも経済的にも、台頭する中国を意識して是が非でもミャンマーをこちら(自由民主主義)側にたぐり寄せたいところです。しかしそれはかの国が抱える幾つかの問題に目を瞑ることを正統化しないでしょう。


1/01/2013

新年のご挨拶

(更新が途絶えている本ブログですが)ご愛顧いただいている読者の皆々様にとって2013年が新たな可能性に満ち満ちている一年であることを祈念しております。

本年こそは怠けず、定期的に(最低でも週に1度は…)更新して国際情勢分析を披露できればと考えています。

アナリストとしてモニターしているアフリカやアジアの国々の最新情勢についてもフォローしたいですね。

また、既に作り始めているのですが、1月から新しいブログを始めます。

現在のTill the end of historyでは引き続き国際政治・安全保障を取り扱い、

新ブログでは国内の政治・経済・社会を中心に幅広く、もう少しライトで親しみやすい内容にする予定です。

お披露目は三が日後になりますが、こちらもご一読いただければ幸甚です。

それでは、本年もよろしくお願い申しあげます。