民主政治は最悪の政体なんて、半分アメ公の血が流れてて頭の中に黒い犬を飼っていた、葉巻とアルメニアン・コニャックが好きな英国人は嘯いていた。民主主義の水で育ち民主政治の酸いも甘いも噛み分けてきた、先進諸国の人間からすれば、勿論民主主義は独裁・専制よりも「優れて」「良い」もので、ゆえに民主化は称揚され支援される。しかし民主化への営みが必ずしも福利を国民にもたらさないことは、ジャスミンの残り香も消えたチュニジアやエジプトを見ていれば、否定はできまい。
さて、先週はミャンマー/ビルマの民主運動家にして現在は同国国会議員、野党「国民民主連盟(NLD : National League for Democracy)」を率いるアウン・サン・スー・チー女史の27年ぶりの訪日がニュースで大きく取り上げられました。
ご承知のとおり、ミャンマーはつい2年前にテイン・セイン現大統領の下で軍政から民主化へと改革がはじまり、これを評価する欧米から長年続いた経済制裁を解除・緩和されて経済発展の道程を歩みつつある、アジア最後のフロンティアです。
しかし約1年前に連邦議会の補欠選挙でスー・チー氏が当選して議員となり、メディアへの検閲が廃止されこの4月からは民営の日刊紙が創刊されるなど、順調に民主化への道程を、欧米や日本の支援を受けながら歩んでいる国の影の部分も強く浮き彫りにされています。
先月にミャンマー中部、マンダレー地域のメッティーラ(メイッティーラ)で仏教徒がムスリムを襲撃する事件が発生し、周辺地域に拡大した騒動で40人以上が亡くなりましたが、その時の光景をミャンマー警察が収めていたものがBBCで取り上げられました。
折しもヒューマン・ライツ・ウォッチ(HRW)が、昨年5月末から断続的に西部ラカイン州で発生した宗教間対立による(ラカイン族・仏教徒とイスラム教徒の少数民族・ロヒンギャの)衝突について、ミャンマー政府が「民族浄化(ethnic cleansing)」を”共謀”していたと非難する報告書を発表しましたが、改革を進めるミャンマーにとってこの問題は、おそらく自由民主化が進むほどに糸が絡まっていくものと思われます。
ミャンマ-国民の多く、90%は仏教徒です。彼らはロヒンギャを同じ国で共生する民族でなく、不法移民と見なして冷遇してきました。昨年のラカイン州の騒動で反イスラム感情は強化されたことでしょう。
こうした中、ミャンマーが民主国家として成長すればするほどに、大統領はじめ政治家は国民感情に背を向けてロヒンギャはじめイスラム教徒を擁護するのが困難になってきます。
現にアウン・サン・スー・チー氏もつい最近までイスラム教徒に立って声を上げず、人権団体等から沈黙を批判されてきました。彼女もまたビルマ族、仏教徒であり、国民の多くに支持される政治家としてイスラム教徒に対する攻撃を強く批判することができません。
民主化が進むにつれミャンマーのムスリムに対する風当たりがますます強くなるのではないか、不安にさせられる理由はもう一つあります。それは民主化に伴うメディア統制の緩和です。
メッティーラの事件が発生したとき、最大都市ヤンゴンでもイスラム教徒による報復の噂や敵意を煽るメッセージが流布されましたが、それらはSMSやFacebook、Twitterを介して広まったと指摘されています。市民が自由に情報にアクセスできるようになったこと、インターネットを使えるようになったことで、ネガティブな情報や噂もまた氾濫しやすくなりました。
全体としてミャンマーの民主化は歓迎すべき出来事ですし、圧倒的多数の国民が自由を享受し始めていることは良いことです。しかしその一方で複雑な問題、それも民主化により軍政時代よりも悪化するかもしれない問題が存在していることを肝に銘じる必要があります。
2015年に大統領を目指すアウン・サン・スー・チーや、テイン・セイン現大統領にとって、好転するミャンマーのイメージを傷つけるおそれのある宗教対立とマイノリティの問題は、リーダーシップを試していると言えるでしょう。ミャンマーの民主化がこの先イスラム教徒を排斥するものとならないことを祈るばかりです。
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