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2/16/2012

モダコンのプリンシプル

モダン・コンサバティブ、略してモダコン。

従来の保守やリベラルが推進力と説得力を失い、不確実性の高い時代に新たな力強い「大きな物語」を生み出せない今、これらに取って代わり首尾一貫した政策を束ねる新機軸ってやつが必要なんだろう。ということでモダコンをより洗練された哲学として、政策に落とし込む探求をしようと思います。

1.保守の流儀で進歩を達成する

エドマンド・バークの保守哲学に「保守するために改革する」とあるけど、先人の足跡に従いつつ前進し、自由と社会正義を満たす方向に改革してこそ人々がより良く、より幸福になれると考える。英国で奴隷貿易廃止を主導した偉大な政治家ウィリアム・ウィルバーフォース(William Wilberforce)はトーリー(保守党の前身)だった。1867年の選挙法改正で初めて(都市部の)労働者階級に参政権を拡大したのもトーリーだった。マニフェストの先駆けとなったロバート・ピールもトーリーだった。新しいチャレンジをやるのもまた保守なのだということをモダコンは主張する。

2.持たざるものを持つものに

経済成長と所得増加によって個々人のオーナーシップ、自己決定権、選択の自由を拡大し、持たざるものを持つものにしてきた池田勇人の「保守本流」の軌道に戻る。復古主義者の清貧志向やなんちゃってリベラルの脱成長の考え方では達成できないことだ。まず富を創出しなければ再分配政策はパイの奪い合いにしかならず、シルバーデモクラシー化している日本では持たざる若者への配分がなく、未来に希望が持てない社会になってしまうだろう。

3.One Nationの活人社会

広く異なる場所からやってきた人々の結束を呼びかけるディズレリのOne Nation、「一つの国民」のための保守主義の精神をモダコンは継承する。人々が豊かさを取り戻し自らの潜在力を活かせる、活人社会の構築を目指すのがモダコンの核心だ。また旧来の保守と違うのが、女性がもっと活躍できるようにお膳立てする、掛け声だけの男女共同参画ではなく、例えばクオーター制を導入して取締役会や上級管理職の女性の比率を増やすよう求める。One Nationで人々が能力を活かす、そこでは当然女性が今よりも能力を発揮できて然るべきじゃないかな。

4.公・共・民の三位一体とローカル経済の復活

前回レッドトーリーで述べたように「共」、大きな社会でも共同体でも呼び方はお好きなように、政府や市場以外のプレイヤーを引き入れること。具体的には寄付税制で社会貢献し公的部門の役割の一部を補完または代替するNPOを強化したり、官民共同で地域創造基金を設立して地場の中小企業への投資を通じて地域経済の活性化を目的としたりする。ここではケイレツに代表されるような従来のタテのつながりだけではなく、地域の中小企業同士のヨコの連携も促進していきたい。


2/12/2012

Red Tory: 赤い保守主義

 「現代の政党には、政治的または実践的な理論に加えて、哲学的または思弁的な理論さえも必要とされており、後者なしには立ちいかなくなっている」(ヒューム「原始契約について」小西訳、「人性論」中公クラシックス)
赤い保守主義(Red Tory,レッドトーリー)は一つの魅力的な、これからの保守の道を提示し小さな政府を再定義してくれる考え方だ。経済社会的には欧州的福祉国家モデル(welfare state)でも米国発の新自由主義市場国家モデル(neoliberal economics, market state、より純粋な資本主義)でもない、また冷戦終結後の過去20年に見られた「第三の道」(third way)、市場を認め民間企業のマネジメント手法を公的部門に導入する折衷的な形のいずれとも異なるもの、保守・右派の側から新たな基軸を生み出す。

赤い保守主義、現代的で思いやりのある保守(modern compassionate conservative)は社会(society)あるいは共(commons)の補助線を引くことで、従来の公的部門(public sector)と民間部門(private sector)、官と民、国家政府(state/government)と市場(market)の二項<対立>より視野を広くする。

この考えを受容して「大きな社会」(Big Society)を掲げているのが英国のキャメロン首相だ。彼の連立政権下で市民、コミュニティ、チャリティーやボランティア団体(NPO)、地方政府に権限を与えることで官僚的、硬直的だった公共サービスを各地域で効率的に運営維持させよう、そして貧困のような社会問題を人々をエンパワーメントすることで解決していこうという試みがなされている。

これは歳出削減で財政再建を推し進めている「小さな政府」路線のカモフラージュという声や、十分な財政面でのサポートなしに大きな社会を目指すのは困難という批判もあるけどね。基本的なポイントとして理解してほしいのは、過去において左派右派双方がコミュニティを壊し、人々が原子化された個人として政府か市場に従属的になってしまったという反省が前提にあるってこと。Red Toryの著者であるフィリップ・ブロンド(Phillip Blond)の見解を踏まえつつ以下に説明してみる。

左派、福祉国家、我々が「大きな政府」と呼ぶもの、国家主義(statism)の下では理論的に自助も互助も損なわれてコミュニティや社会が解体されていく。

(簡潔に述べれば、年金や諸手当を通じて政府がパターナリズム(家父長的保護主義)で面倒を見ることになり、それに依存することで自助が薄れ、政府がしてくれるのでそれまであった近隣のコミュニティでの互助が減ってしまう)

右派、新自由主義、「小さな政府」と呼ばれるもの、個人主義(individualism)の下では支えのない個人として自立することが求められてくる。

(自助が復活するが個人の能力差、機会の不平等が多分に影響するものが結果の不平等に結びつきやすくなり、取り残される者が出てくる。全体の経済は成長するが富めるものがさらに富みやすく、社会の流動性が低下する)

Thatcheriteと違って赤い保守主義は市場経済が処方箋を出せない福祉や教育にもっと力を入れる。でも政府の強制力を伴う再分配に依らないよう、上からの設計主義、行政国家の肥大化と官僚的弊害を避けるよう、政府は小さくする。その分コミュニティに委ねる、人々にsocial responsibility、社会的責任を果たすよう果たせるようにする。

例えば教育。地方の当局、ここでは教育委員会になるけれど、彼らから諸権限を個々の学校、子供を通わせる保護者や実際に教える教員、あるいはその地域のNPOらで作る委員会に移して、もっと現場や利害関係者のニーズに応えられるようにする。中等教育なら生徒の代表も参加させるのも効果的かもしれない。これはもともとはスウェーデンのフリースクールを範としたもの。財源に関しては中央政府が捻出する、けれど口は挟まないで皆でやる。

単純な自己責任を求めるマッチョなアメリカ型よりは可能性の均等化を志向する、だから公的教育支出は惜しんではいけない。日本の場合は対GDP比でOECD平均を下回っている、2007年の教育統計では平均4.8%に対して日本は3.3%だ。結果どうなっているかというと、塾や予備校や私立の学校に通わせるために家計に負担させている。OECD加盟国の公私負担比率は82.6%と17.4%、対する日本は66.7%と33.3%。トニー・ブレアじゃないけど、「教育、教育、教育」で未来への先行投資、人的資源への投資を増すのは公平性の観点からも大事だし、グローバリストの大好きな「国際競争力」の向上にもつながるだろう。

赤い保守主義は'nudge'、ソフトなパターナリズム(またはリバタリアン・パターナリズム)と呼ばれるアイディアとも親和性が高いと個人的には踏んでいる。こちらはシカゴ大学のセイラー(Richard Thaler)とサンステイーン(Cass Sunstein)が2008年に出した本のタイトルからで、ブロンドと違って翻訳も出ている。概要は現在保守党でインターンをされている方のブログがわかりやすく、そして既に政策レベルに導入されていることを紹介されているのでご一読いただきたい。

一つのキーワードは英語のfraternity、日本語にすると「同胞愛」ってのが一番適切かな。共同体の「靭帯」を大切にする。世の中みなが強い個人ばかりではないんだ、格差そのものはあって然りだけど中間層が分解して上下の距離が開きすぎると磁石のように力が働かなくなって壊れた社会(broken society)になるのは困るよねと、維持するところは維持する。

こうして述べるほどには政策に落とし込む実践は理想的にはいかないだろうけれど、理念的・知的基盤として、日本でこの考え方が広まればいいなと思っている。

2/09/2012

Time is running out.

OK、田中防衛大臣はどうしようもない素人だ、野田首相は人事が下手すぎる。やるといってきたことをやらずに消費税増税に突き進むのは大胆、勇敢、そして愚かだ。普天間基地は固定化の懸念が出ている。長期的なエネルギー政策、エネルギー安全保障の展望も曖昧だ。

これらほとんどの領域における政権への批判はもっともだし、仮にポイントがずれていたとしても敢えて擁護する気にもなれない。で、谷垣禎一と彼の率いる政党はどういうオルタナティブ、代わりとなる魅力的な未来図を提示してくれるのか。

支持が伸びない、低迷しているのもリーダーシップの基盤が弱いのも首相と野党第一党党首の共通点だ。そして先週金曜夜のニュース番組出演時の谷垣の発言では、現在国民の多くの関心事であり不人気な政策である消費税増税を巡って政府と方向性の大きな違いはないらしい。

それはそうだ、谷垣は早くから(ポスト小泉のときから)増税と財政再建の必要性を唱えてきた。政策において相違ない、対立軸を曖昧にした一方で解散に追い込むと対決姿勢を顕にする。それでいて話し合いにも含みをもたせるという、実に彼らしい頼りなさを見せた。

多くの人間は谷垣を次の首相たる政治家と見なしていない。また消費税を巡る姿勢は拙い。最大の争点と目される消費税で野田を上手く批判できなくする。これは05年の英総選挙と重なる。

当時イラク戦争がブレア首相の傷であったが、保守党もまた派兵に賛成したために付け入ることができず、第三勢力でイラク戦争に反対した英自由民主党に票が流れることとなった。おそらく日本でも民主党政権への不満票・批判票は第三勢力が流れるだろう。

しかしもっと重大なのは谷垣個人の指導力と決断力の不足ではなく、党全体のポジショニングだ。改革の旗印は橋下率いる維新の会らに先んじられ、また保守右派、民族派の陣地は石原・平沼のナショナリスト色の強い新党に掘り崩される。そう、民主党同様に自民党も迷走し立ち位置が定まっていない。

05年の郵政選挙、09年の政権交代、そして近頃の橋下への期待の高まりと、人々は一貫して「変化」を求めている。そのニーズを掴み、そして彼らを惹きつけるビジョンを、政治哲学や理念と呼ばれるものを築き直すことが肝要だ。谷垣は自民党の考えが伝わっていないことをインタビュアーに指摘されて「広報活動を見直す」と言ったが、根はもっと深い。多くの忠実な支持者は先の総選挙敗北後の谷垣の努力を指摘するだろう、しかし結果が出せなければ徒労に終わる。

保守党を再ブランディングし13年ぶりに連立という不本意な形ながら政権復帰に導いたキャメロンのスピーチの一部を紹介しよう。

'We don't just need new policies or presentation or organisation, or even having a young, passionate energetic leader(...) We have to change and modernise our culture and attiutdes and identity'

早ければ今年の夏には総選挙と言われているし、そうでなくても9月に任期が切れて総裁選が待ってる。谷垣禎一は残された僅かな時間で道を切り拓かなかればならない。

2/05/2012

橋下徹の台頭とやられ役たち

今一番勢いあって方々から注目を集めている政治家を一人挙げろといったら橋下徹大阪市長で決まりだろう、海の向こうのThe Economistで野田首相と彼を並べた日本政治に関した記事が出るくらいね。先日ロンドンでシンクタンクの知り合いに日本政治について簡単に聞かれた際、国民の多くが二大政党に失望している中で来たる選挙で第三勢力、台風の目となりえる男について手短に、しかし野田や谷垣についてよりも長く、話しもした。

(個人的には大阪府民でも大阪市民でもない以上、総選挙になって彼が率いる維新の会が打って出てきていない現時点で関心は薄めだけれども、少し彼についての評価を自分なりに整理しておこうと思う)

真っ先に言えるのは彼が<小泉的>スター性や<小泉的な>批判も受ける独裁的と目されるスタイルよりも多くの、いまの日本で政治家をやる上で有利になる政治的武器を有していることだ。「自民党化」した与党・民主党や下野して2年以上経ってもちっとも「変わらない」自民党の、永田町の政治家たちにうんざりしている人々にとって、42歳と若くそして地方の首長・市長というアウトサイダーである点は新鮮かつ魅力的に映る。

彼の弁護士とTVタレントから転身してきた叩き上げのキャリア、バックグラウンドも好まれるものだろう。ある種のパフォーマンスもこなせるし、何より国民を喜ばせることを言うセンスーーつまりマーケティングと、それを裏返しにしたプレゼンが他の人間と比べると抜けている。真っ直ぐな表現、言葉遣いは荒っぽくそれゆえに人々にとって難しい用語でけむにまいたり丁寧だが屁理屈に聞こえる大半の同業者より親しみやすい。

しかし何といっても彼をスターダムに押し上げる上で欠かせないのはわかりやすく勝利をほぼ確実にする舞台、いかにもな敵役の存在だ。小泉元首相は自民党内に抵抗勢力を求めたが、彼の場合はヒールとしての「抵抗勢力」のほうからやってきた。先の大阪市長選での自民・民主・共産の既存政党、そのどれもが有権者の多くから厭きられている、が一致団結して敵に回った時点でそれは橋下にとってかけがえのない政治的資本、支持の源泉をもたらした。

彼は賛否を巻き起こし、多くの人々から支持を集める一方でわかりやすい敵がいる。最近立て続けに対決した森永卓郎、浜矩子(経済学者)、山口二郎(政治学者)らは同じ過ちを犯した。代替となる刺激的かつ魅力的なビジョンを持たずに、単なる批判のための批判をした。三人に関して付け加えるなら、大学教授という大して実社会に貢献できているわけでもない(と見られるし、実際に今の日本の政治経済が御覧の有様であることが彼らの教育とオピニオンの価値を疑わせる)権威を着ているのがネガティヴな印象を抱かせるだろう。

彼が対決する相手は常に彼が意識している有権者からみて「嫌な奴ら」だ。公務員以下税金からの支出で生活しているものは特にこの不景気下において敵視されがちだ。予期される次期総選挙で彼の勢力は野田政権の消費税増税の方針から確実にモメンタムを得る。それらは彼の弱点や欠点を補って余りあるプレゼントになるだろう、勝ち馬に乗ろうと目論んで資金や候補者も集まりやすくなるし他の地方や中央の勢力で秋波を送る節操ないところも既に出てきている。

前述したとおり彼はアウトサイダーでチャレンジャーだ。これと競うなら次のことを忠実にやることだ。彼とははっきり違って人々を惹きつける、そして彼のものを圧倒できるビジョンを、国民になるたけ理解しやすいよう平易な、説得的で同時に夢中にさせる言葉で伝える。それだけのことを遂行できる政治家ほど、年毎に総理大臣が交代する国の政界と縁遠い存在はないがね。

最後にThe Economistの分析にある彼の戦術の長所の一つ目と三つ目を抜粋しておこう。二つ目は彼の側近、ブレーンに関するものなので割愛する。

・’He has a clear short-term political goal.’(彼には明快な短期の政治的目標がある:ここでは大阪都構想)
・’he is pretty persuasive.’(彼はかなり説得力がある:前原が都構想について納得させられたことが引き合いに出されている)