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2/12/2011

Democracy cannot be built overnight.

(2011年2月11日のTLを下敷きにした論考です)

午前2時、BBCは引き続きカイロの通りから人々の喜びの声を伝える。歴史的な瞬間、機会の訪れである点に疑問の余地はない。

さて、エジプトにデモクラシーは無理だと考えるなら貴方はオリエンタリズムに染まっているかもしれない(民主主義は普遍的な価値じゃないの?)。今のエジプトがダイレクトに民主政体に移行できると考えているなら貴方は歴史を知らない(デモクラシーは時間がかかる)。

ムバラクは大統領を辞任しその独裁に終止符が打たれたが、彼の築き上げたautocracyは変わらず残っている(1)。ではその仕組みは悪だと更地にしてしまえばイラクになるかもしれないし、ラディカルな改革に失敗すれば10年でKGBマフィアがクレムリンを奪還したロシアになりえる?(2)。仮に無事に選挙が一度、二度行われても安心するのは早過ぎる。エジプトのアレクサンドル・ルカシェンコや、(彼よりは少々穏健な)ウーゴ・チャベスが誕生しないとどうして言い切れるのだろう? (大統領制から議院内閣制に移行しないとこのリスクは高まるというのが私見)

先ずは広場の民衆が一人の独裁者を失権させたことを称揚したい。しかし民主化の離陸が上手くいく見込みは現状、相当難しいものだと冷静に指摘したい。ドイツのシュピーゲル誌がエジプトの今後のモデルについてビルマ(軍政)、トルコ、イラン(イスラム革命)の3つの可能性を挙げていたが、英チャタムハウスのFari Haruka氏はトルコとエジプトの相違点を洗い出す。

Turkish military anchored Turkey in European institutions and traditions. [...] By contrast, the Egyptian military is deeply integrated in the political system ,with generals-turned-politicians the rulers of the land. It has never sought to emulate Western political values or industrialize (3)

政軍関係についての彼の指摘はもっともだろう。トルコは軍のクーデターが4度ありながらも、文民政治家が概ね統治してきた蓄積があった。一方、エジプトはナセル、サダト、そしてムバラクのいずれもが軍人出身と、政府中枢と軍が固く結びついてきた歴史がある。実際、今次革命で軍部はニュートラルな位置にあったが、かといってチュニジアのベン・アリ(彼は軍と距離があった)みたくムバラクを追い出しはしなかった。

もっと重視すべきなのはエジプトが十分な経済基盤を有していないという点だ(デモクラシーは安くない)。8000万人を超える人口を抱えるアラブの「大国」、しかし2010年の一人当たりのGDPはIMFのデータでは3000ドルに満たない。安定した民主政体には一定のレベルの所得が必要であるというPrzeworskiとLimongiの研究がある(4)、これを踏まえると、民主政治が根付く前にひっくり返ることは大いに有り得るのだ。今回の「革命」の背景に高い失業率、食糧価格の上昇という経済的要因が挙げられる(イデオロギー、Islamismに突き動かされたものではない)が、他方で民主政体は必ずしも経済発展を約束しないという問題もある。今日の熱狂が、いつしか失望へと変わって民主主義の価値が損なわれなければいいのだけど。

加えて、エジプトの民主政がマイノリティーたるコプト・キリスト教徒にどれだけ寛容でいられるかには疑問が残る(5)(6)。OK、広場でムスリムとキリスト教徒が協力する象徴的な写真に胸を打たれたかもしれない。だが個人的にはその協力はあくまで独裁者ムバラクがあっての「バランスオブパワー」と見ている。

と、リアリストの性として悲観的に見てしまうけれども、これは短期的な分析。国民にそれなりに受け入れられている、群衆に銃口を向けず結果的にムバラク失権の遠因を作った国軍が、漸進的な改革を進めつつ、長期的には民主化へ進んでいけるという可能性はある。エジプト政治のエディフィスを維持しつつ(イラク化を防ぎ)、政治的な計算を以て人々の要求を満たすよう計る、というのがリアリスト的に好ましいシナリオ。(ムスリムブラザーフッドMuslim Brotherhoodの伸張をそこまで警戒する必要はないだろう。国軍との協力なくして権力を安定して行使することはできないし、だいたい、彼らはあくまで今次の革命で「二列目」の存在だったわけで)
the army may step in as a transitional power and recognize that, as much as it might like to, it cannot return to complete control. The Egyptian military is far more professional and educated than it was in the 1950s, so many officers may recognize the benefits of a democracy. More likely, however, is the culmination of the slow-motion coup and the return of the somewhat austere military authoritarianism of decades past.
というゴールドバーグ氏(Goldberg, 1)の最後の指摘だが、この逆の見方を私は取る。結局、エジプトの軍部というのは年1.3億ドルの支援をアメリカから受けているし、次世代を担う人間はデモクラシーの利点を理解しているし、最終的に民主政体を確立できるかどうかについては悲観的ではない。自由民主主義諸国においては、出来る限りのアシストをして、自分たちの信じる価値が真に普遍的であるかが試されている。もちろん、最後はエジプトの民衆の手にかかっているわけで、彼らにとっても民主化に辛抱強く取り組めるか、本当にテストされるのはこれからになる。

チュニジア、エジプトで起きた一連の出来事を見て、Twitterなんかでカイロの人たちと一緒に多幸感(euphoria)を得られる方々は羨ましいものだ。昨年12月19日のミンスクの違う結果を、色褪せてしまった「バラ」と「オレンジ」の革命を思えば、一時の「勝利」など虚しいものさ。


(2)The End of Mubarak, but Not the End of Autocracy:
(6)Coptic Christians Worry About Future Without Mubarak http://on.wsj.com/fbdkze

2/03/2011

そして「歴史」は動き出す

'We all are capitalists now!'

資本主義は勝利した、二つの生活様式を巡る戦争に。Niall Fergusonは「資本主義を最適な世界経済のシステム」と言った類のことをEmpireの中で書いているが(そしてそれを広めたのを大英帝国の業績の一つとしている)、この点に異論を挟む者はそうはいないだろう。クレムリンには旧ソ連KGB出身者が多数いるが彼らはもう共産主義者ではないし、中国「共産党」員は資本主義の腐敗した豚なのだ。資本主義は全球的に勝利を収めた、ウーゴ・チャベスや金正日のようなスターリニストの暴君が治める一部の忘れられがちな辺境を除けば。

2009年11月2日、ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス。鉄のカーテン崩壊から20年を振り返るシンポジウムで、ベルベット革命の主役の一人だったVaclac Havelはその後の自らの過ちの一つを「エコノミストを信頼しすぎたこと(too much believe the economist)」と笑った。(彼はこの時、ニューヨークの国連でチャベスに「あなたは私の先生だ」と言われたエピソードを紹介してくれた。「どうやら私は悪い教師だったようだ」と聴衆を笑わせたのをよく覚えている) 彼のみならず、集った当時の東欧の指導者たちは口を揃えて自由な社会、市場経済、統合された欧州の一員であることを指して「夢は叶った」と言った。

資本主義は勝利した。一方でFrancis FukuyamaがThe End of Historty and the Last Manでぶち上げたような、自由民主主義は冷戦終結後から20年を経てもなお専制国家と独裁に対して完全なる勝利を収めてはいない。昨年12月19日の選挙直後に欧州最後の独裁者Alexander Lukashenkoは対立候補や批判者を投獄した(これに対して英独の外相はWSJに寄稿'Standing Up to Lukashenko’: http://on.wsj.com/g7CFjd EUとして独裁体制に厳しく臨むことを呼び掛けている)。またモスクワに民主主義があると信じるのは北朝鮮が地上の楽園だと信じるようなものだし、2000年代半ばのカラー革命もすっかり過去の話だ。アフリカ、アジア、そしてアラブではいくつもの国家で独裁・専制体制が健在であり、その権力基盤を維持してきた。

2011年は幕開けから北アフリカ、旧仏植民地の警察国家チュニジアで発生した「ジャスミン革命」から始まった民衆の大々的な独裁政権に対する抗議の津波がエジプトを、そしてヨルダン、イエメン、シリアをと相次いで揺さぶっている。既に忘れられてしまいそうだが、住民投票で南スーダンが独立してアフリカ54番目の国家が誕生する運びになったのもこの1月の出来事のなのだ。

我々は今「歴史」が再び動き出したのを目撃しているのだろう。その先に待ち受けているのはデモクラシーの理想だけではない、現実も。デモクラシーに約束された勝利はない。デモクラシーは一日にして為らず。ネオコンのように(1)、もっともネオコンだけがデモクラシーを抱擁できる所有者ではないのだが(2)、民主主義が独裁を倒してハッピーエンドと素朴な夢を見るわけにはいかない。


(1)Egypt protests show George W. Bush was right about freedom in the Arab world 
(2)‘Right all along’? - neo-conservatism and the Middle East demonstrations 

ここに「歴史」の再開を宣言する。そして「歴史の終わり」に向かっての戦いを眺めていく。