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12/03/2011

ジェレミー・ブラック、戦争の将来について語る。

本日(12月2日)はNIDSで開かれた、来日中の英国の高名な軍事史家ジェレミー・ブラック(Jeremy Black)エクセター大学教授の講演会と、青山学院大学で行われたアフガニスタンの安定化(stabilisation)に関する英RUSIのジョン・ヘミングス研究員と青井千由紀教授のセミナーに参加してきました。

このエントリーで先ずは「戦争の将来像」と題されたブラック教授の講演について取り上げます。この御仁はこれまでに100冊以上本を出されておられるそうです(私はキングス・カレッジの図書館でRethinking Military Historyを読んだぐらいですが)

最初に、戦争を国内紛争(counter-insurgencyを含む)と国家間戦争の2パターンに大きく分類、そして戦争を機能的に定義するべしとし、「大規模な組織的暴力の使用」と定義。ここでポイントなのは国家なき戦争というものが存在し得るということでしょうか。ルパート・スミスのwar among peopleに通ずるところがあります。直近ではリビアやシリアの内戦が好例でしょうか。

ブラック教授が前半で取り上げていたのは人口爆発(今世紀末に世界の総人口は100億人に?)と、これによって生じる食料・水・燃料エネルギーの問題。この問題について「経験則は将来の(解決の)指針として限界がある」という主旨のことをブラック教授は述べておられました。日本は例外的に人口増加の問題がないと指摘されましたが、それでも他国において人口増が需要増加を引き起こせば、結果的に輸入に頼っている日本や英国は困難に直面するものです。

考えてみれば本年のアラブの春も人口爆発と若者の高失業率、食料価格高騰といった経済的要因がそもそものきっかけでしたね。この人口問題が特に目立つ地域はラテンアメリカとアフリカです。後でもこのラテンアメリカは教授の話に出てきたので要注目です。

人口増加によって起きる現象の一つがキンシャサ、カラチのようなスーパーシティの出現、国家内移民で人口が増え急速に発展するも、東京やNYといった先進国の都市とは異なりインフラ整備不足+統治能力の限界+社会的パターンの不在で、将来的に内乱が起き得るという観点で問題があるとのこと。このような急速に拡大した都市は従来その国の人々が住んでいた村落と異なり、高いレベルの社会秩序やヒエラルキーがなく、食糧など物資を自給自足できない、ゆえに物資窮乏で暴動・内乱が起きやすいとなります。

先進国の都市、ここではロンドンが引き合いに出されましたが、スーパーに3日間食料がなかったら、水がなかったら暴動や社会秩序の破壊が起きるだろうとのこと。国によってはこれでも楽観的で、(途上国だと)最終的に紛争へ突入することが考えられるそうです。また食糧より水の欠乏がより迅速に人々を暴力に訴えさせるというデータがあるようです。

水資源を巡る争いも当然懸念の一つです。例えばナイル川だと、流域国のエジプト、(南)スーダン、エチオピアで国家間の争奪戦の可能性がありますし、我々にもっと馴染みがあるのはインドとその隣国でしょうか。様々な流域で川の水位が低下しているとブラック教授。

食料、水の問題の答えの一つで重要なのが「テクノロジー」でしょうか。水でいえば脱塩、真水を作ることで対応、食料であれば遺伝子組換え穀物や家畜のクローンで生産量を増やす。しかしいずれもデメリットあり、前者は脱塩に燃料が必要でこれのコスト増が紛争リスクを高めるし、後者は技術を保有している先進国と、今後需要が増す途上国という不均衡がある。

ここまでは物質的な文脈で、もう一つがソーシャルなもの。国毎に社会調和、社会の団結性が民族や宗教といった要素で異なり、これによって容易に社会秩序が崩れ不安定化する国もあれば(教授はニジェールやコートジボワールを例に)、ここでも日本が例外的に社会の団結性が強い、「ほとんどの国は日本のようではない、その理由は島国が云々」と教授。前述の西アフリカの国などでは、経済的圧力、不適切な統治、民族間の争いから不安定化し、場合によっては介入の意志決定を国際社会が要するケースも。

日本例外がここまで2度出ましたが、日本や米国のような先進国は少数でありその基準は普遍的ではない、ということが言えるそうです。例えばマダガスカルのような国が水準、指標になるとのこと。

戦争の将来、これからどういうのがこれを考察する上で一つの見本になるのがラテンアメリカ。「過去が将来の指針を我々に与えてくれる」とブラック教授は言いましたが、このラテンアメリカ、1930年代半ば以降滅多に戦争に関わっていない地域で、互いに戦っていないとのこと。

しかし常備軍のないコスタリカ以外は、キューバやベネズエラのような左翼国家も反対に右翼国家も、軍隊が政治において中心的な役割を果たしてきたところばかり。これらの国々は、成功した経済と成熟した民主制が樹立されれば紛争リスクの上昇を回避できるのですが、資源需要増と経済的圧力に政治が対処を誤れば軍部の台頭、内乱への対処で軍隊への依存が強まることになります。

上記の政治文化、政軍関係がラテンアメリカの特徴ですが、アメリカでは一般国民に対して正規軍が武器を使う、内乱に対処してきた伝統文化がないという特徴が。それゆえ911以後にはテロや国内の問題に対処するのにDepartment of Homeland Security、国土安全保障省を新設したとのこと。この正規軍の性質は将来も続く見込みだとか。あと日本もアメリカのパターンに似ているけど、日米はどちらかというと例外、ほとんどの国は異なるとのこと。他方で(民主国家で)軍隊が内乱鎮圧に用いられてきたのがカシミール紛争を抱えているインド。日本やアメリカは国内紛争より国家間紛争をより懸念している、それは部分的に国内政治(安定したデモクラシー、社会の安定、分離独立運動皆無)、大国の役割から来ているそうです。例えば我が国で言えば、北朝鮮であったり、中国や、もしかしたら中国とロシアのコンビといった脅威により重点が置かれます。

次に軍事力の役割と戦略目標について。ここでブラック教授はアウトプットとアウトカムの2つの対照的な概念を提示。前者はシンプルに敵(戦力)の完全な破壊を企図した、軍事力を上手く行使すること。後者は他国にこちらの意志に従うことを強制させるということ。一昔前であれば領土の占領(アウトプット)が目的でしたが、現在と将来はアウトカムが戦略上のゴールになります。

それから、NATOのアフガニスタンでの任務(国家建設等々)は現実的ではないという話をし、将来の紛争の現実性は兵器システムに影響されるかもしれないし、そうでないかもしれないと、ここは考え中といったところでしょうか。日本がユーロファイター・タイフーンを選ぼうがF-35を選ぼうが、いずれにせよ(現在の戦争に使われる)テクノロジー自体は20世紀の最初に出てきたレガシーだと述べておられました。

この次が、英外交政策論をやっていた私にはradical re-assessmentという表現で馴染みがあるのですが、タスクとリソースの関係。特に過去10年の経済政策、無責任な財政政策によってリソースの制約の厳しさが増している現状を指摘。このような状況ではサイバー攻撃や高速ドローンの選好性が高まりそうだねとブラック教授は示唆。100年単位の想像だと、クローン兵士の導入など、SF的ですがここの関心事はやはりテクノロジーがどういうインプリケーションを戦略にもたらすかということでしょうか。

(ジェレミー・ブラック教授の定義ではテクノロジーは人間が自分の能力を拡大するために人口的に使用するものという概念) テクノロジーに関しては、コンピューター登場のインパクトは戦争のアッパーサイド(たぶん指揮系統やコミュニケーション?)で非常に大きかった、18世紀半ばまでは正規軍と非正規軍に差がなかったか小さかったのに(とくに)先進テクノロジーの変化が正規軍と非正規軍・ゲリラの大きな違いをもたらしたとのこと。

アメリカではRMAでのNetwork-Centric Warfare志向からイラク・アフガンでのCOINへのドクトリンの変遷があったが、現在の中国の台頭のような新しい現実に対応するための軍の構成が軌道修正・調整されるべき(COIN vs. CONSERVATIVE)、将来の戦争像について陸・海がまったく異なった意識をしている(陸はメキシコ国境の不安定化を、海は対中国が戦略思考を主に占めている)そうです。

ブラック教授が結論部で最初に述べていたのは政治のPriorityが将来の戦争の様相を決めるであろうということです。それから不確実性に関して国内の秩序崩壊、国家間の秩序崩壊の2パターンがあり、畢竟軍隊の役割はこの2つへの対応となるということ。(policing、警察力としての役割。英国では夏の暴動の際に、軍隊を出動させる政治的なプレッシャーがあった云々。両者のバランスに関して、英国の正規軍の兵力は10万程度だが、それをアフガンやイラクに派兵したあとの内乱の対処はどうするのか?という疑問が。北アイルランドには少ない人数しかいない云々。)

英国のJoint Staff Collegeが作成にタッチした非公開の報告書があるそうですが、これによれば2018年の世界はunchanged、特に変化なし、2036年でもアメリカは指導的な地位にあり、英(そして日?)は同盟国であり続けるだろうが、将来のアメリカは遠くの地域の戦争よりもメキシコやベネズエラを懸念するかも?とのこと。ここでラテンアメリカの人口問題、歴史的な軍の政治における存在感といったものがつながってくるのでしょうか。

最後の質疑応答で印象的だったのは、欧米先進国の能力は、テクノロジーの向上ではなく社会的、政治的文化的な文脈によって洗練されてくるという点。それからrevolutionは短期的に発生した大きな変化、対して数十年、1世紀を通じた変化はtransformationという言葉の定義、使い分けなどは興味深かったです。

将来の戦争を考えるといっても、予期しないことが起こるものというのも肝に銘じておきたいです。英国人の多くは朝鮮戦争の時に朝鮮半島がどこにあるかわからなかった、60年代にスエズの東から撤退したのに過去10年間スエズの東で戦ってきた、NATOで北大西洋はカヴァーしていたが南大西洋のフォークランドで紛争があった、など想定外は起こってきたし、これからも起こるのでしょう。最近で言えば連立政権下で書かれた戦略文書SDSRはリビアへの介入などまったく前提になかったのがいい例です。

以上がノートを下敷きに若干補足した講演のまとめです。長くなりましたが、あと少し講演を受けて考えたことをメモしておきたいと思います。

一点目。今回ジェレミー・ブラック教授はsocial disorder、社会秩序崩壊の要因をマテリアルな、人口増→食料・水・燃料の需要増の観点から主に述べていましたが、このような国内紛争を今後、それこそサイバー攻撃のようなテクノロジーを用いることで人為的に仕掛けることができる可能性について一考の余地がありそうです。話の中で先般の英国の暴動がありましたが、暴徒側でBlackBerryのメッセンジャーが連絡に使われていたと事実があり、政府が情報開示を求めていたのがニュースにありました。突発的なパニック、暴動を上手く組織化してエスカレーションする、先進国の大都市は物資を自給自足せず外部に依存していますが、重要なインフラ、物流システムやライフライン・・・これらはネットワーク化され情報化され管理されている・・・の脆弱性を突くことでwar amongst peopleの引き金を引く、というのは将来の戦争のやり方としてあり得なくはないだろうと思われます。

二点目。私たちは米国と中国の国家間戦争をイメージしがちなのですが、将来中国で国内紛争が発生する可能性について、それこそNaval War Collegeのようなところでは議論がなされていないのかが気になりました。経済発展で需要が増えたアフリカや中央アジアへ資源と食料を求めて進出していますが、それだけかの国も外部への依存度が高く、今後ショックが国レベルでの内乱に結びつく確率は相当あるのではないでしょうか。胡錦濤体制で和諧社会、社会の調和といったスローガンが出されたのは、裏をかえせばsocial cohesionの程度が低いということでしょう。この点についてはもっと掘り下げることができるのではないかなと個人的には見ております。

11/30/2011

そう、シリアはリビアより難しく、ダルフールより酷くない。

 昨日公表されたUNHRC Report of the international commission of inquiry on the Syrian Arab Republicはアサド体制下で人道に対する罪(Crimes against humanity)が起きていることに言及している。処刑、拷問、婦女暴行・・・・・・11月8日時点の報告で3500名以上が春よりの騒乱の中で命を落とし、そのなかに256名の子供が含まれている事実に、深い怒りとそれから失望を禁じ得ない。調査委員会はまた抗議側の暴力行為についても認識しているが、それでも大多数の人々が平和的なデモを行なっていたにもかかわらず、当局側の過剰な武力行使で殺されたことを明記している。軍や治安維持部隊からは脱落者逃亡者が出ているし、最近はFree Syrian Armyなる反政府軍が政府側の施設を攻撃するなどシリアは現在内戦の淵にある、いやもう内戦状態と言っていいのかもしれない。

 リビアに介入した末に大佐が死んだ一方で、シリアのアサドに対して目に見えるアクションを起こさないのにはそれなりに理由がある。シンプルなのは、中露は今度は軍事介入に繋がる国連決議を安保理を通過させないということだ。結局のところUNのmandateなしにできることには限界がある。現状のようなアラブ連盟やトルコも加えて制裁等の外交圧力では流血は止められない。もう一つ、シリアへの介入は意図せざる悲惨な結果をもたらすことが十分予見される。シリア国外に飛び火する、「爆薬庫」としての中東を考えればそのリスクを冒したい政治家はそうはいないだろう。そもそも自国財政が火の車の欧米がオペレーションにかかる負担にどれだけ耐えられるのかってのも疑問だ。リビアは半年とちょっとで片付いたが、長引けば介入は失敗に終わり、NATOと主導した国々とその首脳は政治的に相当傷ついていたろう。

 3500という数字は国際社会を動かすのには足りない、と冷酷に捉えるか。先の10年間では30万人が亡くなったダルフールを何年も放置していたのだしね。リビアだったら石油権益の見返りがあったけど、シリアへの自由主義的介入はただ働きどころか大損になるかもしれない。空爆にせよ海上封鎖にせよ、費用を負担する納税者のご機嫌を伺うことを忘れてはならない。それに何より、リビアの「成功」で浮かれてシリアにも手を広げれば、コソボ、シエラレオネと自由主義的介入路線を突き進んでイラクで落とし穴に落ちたあの労働党の首相の二の舞にもなりかねないし。

 価値や倫理を信奉していない世俗的リアリストなら、シリア国民が1万人死んでも地域の安全保障の不安定化を引き起こさないうちは無視してもいいのかもしれない。経済制裁や外交圧力をかけていれば体制側が折れて弾圧を止める、淡い期待だがそれを選んで行動しないのがrealisticで戦略的なのかもね。でもね、このまま手をこまねいていて、アサドの脅しに屈したかのような形になっていいの? 介入によって減らせたかもしれない犠牲を許容するの? Responsibility to protectはどうなるの? と自由主義的介入主義者として、またDoctrine of the International Communityの支持者として疑問を投げかけておきたい。その提唱者の、1999年のシカゴ経済クラブでのスピーチから以下の箇所を引用しておく。

This is a just war, based not on any territorial ambitions but on values. We cannot let the evil of ethnic cleansing stand. We must not rest until it is reversed. We have learned twice before in this century that appeasement does not work. If we let an evil dictator range unchallenged, we will have to spill infinitely more blood and treasure to stop him later.


 正戦論(Just War Theory)や倫理的対外政策(ethical foreign policy)が絶対的なものであるとは言わないが、スレブレニツァ、ルワンダ、コンゴ、ダルフールに続く事例を作りたくはない。克服しなければならない法的能力的制約と限界が多く残っているのは事実だし、また我々は判断を誤りもするだろう。それでも、ここで国際社会が十分に行動しないことは幾らかの批判を浴びなければならない。

11/20/2011

南シナ海が問いかけるのは



この1年とちょっとの中国外交は「らしくない」ところが続いている。ホノルルに引き続きバリでも北京はワシントンと、そしてこれに寄り添う東京に面白くない思いをさせられただろう。温家宝首相はEAS(東アジアサミット)の前日に改めて従来の主張を繰り返して牽制した。曰く、「部外者は介入するな、当事者だけで解決する」。これは昨年のハノイ、ARF(ASEAN地域フォーラム)においての楊潔篪外相の、ヒラリー・クリントン国務長官の「航行の自由」、アジアの海洋コモンズ(公共財)への自由なアクセスと国際法の尊重を求める、これまでにないはっきりとしたステートメントへの反論の繰り返しだ。一方、この日出された日・ASEAN共同宣言では昨年のヒラリーの主張をなぞるかのように海上の安全保障に関する文言が盛り込まれた。

南シナ海は'assertive diplomacy'を続ける中国と、周辺諸国そして米国の間で最も熱いflashpoint(引火点)になっている。歴史的にはパラセル・スプラトリー諸島などを巡った領土問題が横たわり、これに天然ガス・石油といった資源が絡んでくる。またこの海域は世界経済の中心になりつつあるアジア経済と貿易、それから日本や中国のような東アジアの国々にとってはエネルギー安全保障の観点からも戦略的にとても重要だ。これら多くの要素はどれも単体で摩擦と紛争の種になり得るが、この海域が明らかにしているのは米中間のperception gap、認識の開きだ。

米国そして日本の論法では、課題はトランスナショナルな海洋安全保障であり多国間の枠組みで話しあうのがいいと考えている。一方、中国は当事国間の直接で解決されるべき領土・主権マターであるという。双方の思惑で、実のところ議論の対象がズレている。加えてその主権マターとなる島々の領有権、そして領海とEEZに関する中国の理解はやはり「独特」だ。

中国の南シナ海における主張、そのU字型の排他的経済水域(EEZ)は他国のEEZを飲み込む極めて広範囲なものだ(図参照)。これは南シナ海の中国の島々(と中国は主張している)からの延長大陸棚をベースラインにしている。しかし英シンクタンクRUSIのJohn Hemmingsによれば、これはarchipelagic state、群島国家に認められるルールであり、中国に適用するのは無理がある。また無害な(innocent)船舶の航行で予め領海を得ようとする中国の要求は、UNCLOS(海洋法に関する国際連合条約)やいかなる国際法にも支持されない。EEZの通過はUNCLOSの87条で保証されている。

今回のEAS、そして南シナ海についての議論で中国に対してより根源的な問いが投げかけられている。それは中国がどのような大国になるか、だ。長年の高度経済成長と不透明さがあいまって警戒を呼ぶ急速な軍事力増強、その結果近年見られるような過去の「平和的台頭」をうたった魅了的外交とは異なる、好戦的で自己主張的な外交はこれからも続くのか、一時的な逸脱なのか。ゼーリックの言う「責任ある大国」としてリベラルな国際秩序、それはルールつまり国際法に従ってやっていくものだ、の一員として振る舞うことに長期的な国益を見いだせるのか。

既に中国のいくつかの国内外の要因によって生じた不器用な外交は、北京の外交官たちにとって好ましくない戦略環境を作りつつある。昨年9月に尖閣諸島問題でぶつかった日本は、野田政権下で明確に古き同盟国米国と足並みを揃えて、経済貿易面のTPPに続いて中国にチャレンジしてきている。フィリピンはこのEASの準備段階で外交ハブとして、9月にマニラにASEANの、海洋安全保障やその法的枠組みに関して専門家を集めた。かつて中越戦争を繰り広げたベトナムはもっとも挑戦的だ。8月にはカムラン湾に米海軍の船がこの30年とちょっとで初めて寄港した。9月にはペトロベトナムがインドの国営公社と南シナ海の資源開発で手を組むと報じられた。(ペトロベトナムはロシアのガズプロムもビジネスパートナーとして引き込んでいる)。軍事的には2009年に6隻のキロ級潜水艦を買う契約に調印しており、巧みに中国の台頭を懸念する大国を引きこんで対中バランシング外交を展開している。

北京は米国が中心になって自国に対する包囲網が形成されている脅威を感じるかもしれない。しかしこれまでの中国の動きを振り返れば、諸国がリスクヘッジに動くのも理解できる。2009年3月に米海軍の海洋調査船Impeccableが5隻の中国船に海南島(中国海軍の潜水艦基地があるところだ)から75海里の公海で嫌がらせを受けたのは耳目を集めたし、今年3月には中国のエネルギー調査船の嫌がらせに対してフィリピン政府は軍艦を派遣して応じた。このような揉め事がいずれエスカレートすること、中国が「砲艦外交」を21世紀の南シナ海で行うことへの警戒心は簡単には拭えない。

しかし中国が2002年のCode of Conductの合意、係争を平和的に処理することを受け入れたラインに戻るのは簡単ではない。中国外交の「変調」は、地域のバランスオブパワーの変化もさることながら、国内の勢力争い的な面も反映していると考えられるからだ。英IISSのSarah Raineの見方はこの点を補強するだろう。大まかに分類すると、屈辱の歴史の後に大国となった中国が弱い周辺国に国益を損ねられてたまるかというPLAや資源ナショナリストら強硬なグループが片方にいて、もう片方に鄧小平の薫陶に忠実に権利主張を棚上げして発展を優先したい、主に外務省と商務省が中心の、やや穏健な集団がいる。両者の違いは目的ではなく手段にある。前者は軍事力行使も辞さない、恫喝を選択肢に入れるが、よりリベラルな後者はそれが長期的な国益を損ねるのでもっと柔軟であるべきだと考えている。

中国外交は当分の間ジグザグなものとなるだろうし、米中間では実り少ない対話で溝を埋めようとする営みが続けられるだろう。東アジア諸国で選挙や権力移行がある2012年にアジア太平洋情勢は不確実性が増すと考えられる。中国がstatus-quoとアメリカ主導のrule-orientedの地域アーキテクチャといかに折り合いをつけるかが問われている。国内的にも対外的にも、外交の均衡を取り戻さなければ地域の不安定化を招きかねない。このような政治的現実がもっとも好ましくない米国のこの地域における歓迎する向きに繋がっている。日本もまたこの流れの中で、昨年末の防衛大綱に沿って同盟を拡げる方向で、近隣諸国との関係強化に動き出している。

11/18/2011

アジアの世紀、太平洋のアメリカ

‘The centre of gravity of world affairs has left the Atlantic and moved to the Pacific and Indian Oceans’ (Kissinger, 2010)[i]

 日本ではTrans-Pacific Partnership(TPP)の話題一色だったハワイ・ホノルルAPECから、豪キャンベラ経由で19日にインドネシアで開かれるEast Asia Summitまで、アジア太平洋というグランドチェスボードの上で米国が次々と戦略的布石を打っている。APECでも合衆国にとって安全保障は無視できない議題だった。オバマ大統領はイランの核開発問題についてロシアのメドヴェージェフや中国の胡錦濤に協力を促さなければいけなかったし、南シナ海を巡る議論、Darwinへの海兵隊駐留などを定める米豪同盟の強化、あるいは将来の在日米軍についてこなしていた[ii]

 It’s the security, stupid! 冒頭のキッシンジャーの引用どおり、これからの世界の政治的、軍事的、経済的重心は太平洋、そしてインド洋へと移っている。オーストラリアでのオバマの堂々たる宣言はこれを改めて明確にしたものだ。大戦略の文脈に置けば、豪ギラード政権のインドへのウラン輸出意欲や、来年に予定されている日印海上合同演習も、緩やかな民主的でリベラルな国際秩序を支持する海洋国家群の戦略的パートナーシップの形成、拡大的で不器用な自己主張外交を最近展開している中国を念頭においたヘッジ(hedge)戦略に繋がるだろう。オーストラリア北東部、ティモール海に面するDarwinは、’Indo-Pacific’の戦略拠点を置くには申し分ないだろう。この点は米海軍大James Holmesの、2007年の米海洋戦略を踏まえた論考の以下の部分参照。
‘A more central position would let ships, aircraft, and marines “swing” from one ocean to the other, cutting distances and thus transit times. From seaports like Darwin, furthermore, they can move back and forth while bypassing the South China Sea, a body of water that would be hotly contested during a shooting war involving China.‘[iii]
 このところの米国のやり方、多国間の枠組みでルールメイキングを主導しそれを以てstatus-quoとの折り合いをつけるのに苦労気味の中国に従うよう肘でつつく(nudge)、には簡単にまとめると3つのポイントがあろう。米中間のバイラテラルな外交は、通貨がいい例であるが、摩擦を引き起こすだけで効果的でないが、舞台空間を拡げてプレイヤーを増やす(日・豪・印etc.)ことで優位にゲームを進めることを可能にしている。2点目は、力を得てそれを好戦的強圧的に用いる中国に同じ力でカウンターするのではなく、国際法とルールに基づいた地域アーキテクチャの形成で間接的に圧力をかけていく(その裏付けには米国の海洋での優位などがもちろんある)スマートパワー的発想であることだ。最後に、このようなアプローチをとる背景には、対外的にはイラン・アフガンの「対テロ戦争」、国内的には金融危機で国力を疲弊した10年の後で、出来る限りburden sharingで負担を減らすことでCFRのリチャード・ハースが提言しているように自国の回復を果たしたいのが挙げられよう。Make a wealth, not war――TPP、自由貿易圏・統合市場を作ることで経済プレゼンスを確保しようとする試みもこの目的に適している[iv]

 米の「大戦略」(Grand Strategy)はオフショア・バランシングの一環と読んで差し支えないように個人的には考える。欧州方面では先のリビア介入で表向きは英仏に預けたように、本来なら東アジアでも応分の負担を日本らに求めたいところだ。パネッタ国防長官はこの先10年で4500億の軍事費削減の計画にもかかわらずアジアでのプレゼンスを維持する旨発言しているが、他方で従来通り地域の安全保障の大部分を米軍が担うことには同盟国を「甘やかす」という考えもあるみたいだ。

 軍事・作戦の観点では、Air-Sea Battleの担当局設置を先日ペンタゴンが公式に発表して今回のDarwinへの駐留、中国の弾道・巡航ミサイルの射程に入る前方展開されている軍事リソースが有事に減衰させられるリスクを無くそうとするのは理にかなっているのではなかろうか。個人的に不勉強なのでこれ以上は言及できない。

 また日本の怠惰と国内政治の不安定・優柔不断から「同盟」が期待通りに深化しない一方、 “no better ally than Australia” とBen Rhodesホワイトハウス安全保障副補佐官が表現した米豪の同盟関係は今回一層強化されることになった。テロとの戦いでshoulder to shoulderで共に戦ってきた、MDでもインテリジェンスでも深い結びつきにある、何よりアングロサクソン国家同士である。(Darwinの地は先の大戦で日本に攻撃された、歴史的な米豪の同盟を象徴する場所だ。「豪ナショナルアーカイブスに依ると、1942年の<日本の>空襲は少なくとも243名を殺害した。これは10週間前にパールハーバーの攻撃の指揮官によって計画され指揮されたものだ。ダーウィンの港で沈んだ船の中にはちょうど補給を受けていた米駆逐艦Pearyがあった、米海軍曰く」)[v]


防衛装備調達で米国にF-22の輸出を断られ、次はF-35 かスーパーホーネットかで悩んでいる点など、日本に似通った点もあるが決定的な違いをMossが指摘している。以下がその一部抜粋。日本と違って属国(client state)にはならんさ、と。 

‘Australia has the resources, and lacks the political constraints that hamstring Japan, to avoid this kind of client status: wise reforms and targeted spending can revitalize the country’s domestic defense industry, even if the suboptimal choice between the Super Hornet or the F-35 can’t now be avoided’[vi]

 オーストラリアが米国との安全保障関係をさらに密にすることを選んだのは大きい。オーストラリアがそうであるように、ASEAN諸国もまた安全保障面で米国を頼りにしていると同時に経済面で中国との相互依存の度合いが増している。これらの国々も、とりわけベトナムやフィリピンといった海上で中国と揉めているところは、米国のプレゼンスが経済的繁栄の基礎ともなるグローバルコモンズの安定、航行の自由を支える役割を担うことを歓迎するだろう。

 オバマのアジア太平洋外遊のトリを飾るインドネシア、EASでは海洋安全保障を平和的に処理するための多国間の枠組み作りが重要な課題の一つだ。EASに参加するのはこれが初めてで、Pacific powerとしての合衆国をますます強く印象づける機会となるだろう。もっとも早々に中国はこの試みを拒否する構えを示している。もとより昨年のハノイのARFASEAN地域フォーラムでヒラリー国務長官がアジアの海洋コモンズへのオープンアクセスと、南シナ海における国際法(UNCLOS、海洋法に関する国際連合条約)の尊重に米国が国益を有していると表明し、対する中国の楊潔篪もはっきりと不快感を示し「(領土に関する)問題を国際化しようとするあらゆる試みに反対する」と述べた経緯がある。多国間の枠組みで中国をルールに従わせようとするnudge and hedgeの戦略、これはTPPと同じだ。経済貿易では、中国もASEAN3あるいは6という枠組みで対抗できる。一方、領土・主権の問題では当事国同士バイラテラルの交渉で解決しようとする中国だが、合衆国はこれを前述したコモンズ、トランスナショナルな課題に引き上げようという構図だ。

 この南シナ海の問題については、TPPの陰に隠れて目立たないが日本も動いているし、ベトナムやフィリピンも個別に面白い動きをしているので次回のエントリーで取り上げたいと思う。



[i] Kissinger, Henry A.(2010) 'Power Shifts', Survival, 52: 6, 205 — 212

[ii] Nakamura, David ‘Global security trumps economics at APEC conference’ ,Washington Post, (http://www.washingtonpost.com/world/global-security-trumps-economics-at-apec-conference/2011/11/13/gIQAVO4KJN_story.html?tid=sm_btn_twitter 20111117日アクセス)  
[iii] Holmes, James R ‘U.S. Eyes Australia Base’ .Diplomat,  (http://the-diplomat.com/flashpoints-blog/2011/11/12/u-s-eyes-australia-base/ 20111117日アクセス)
[iv] 日本、カナダ、メキシコ、台湾が(交渉)参加の意志を表明し、中国にとって望ましいASEAN+3から流れを傾かせた感がある。なお、最終的に中国により高い水準の市場開放と障壁撤廃を求めるであろうが、ルールメイキングの時点で参加させる≒幾許かの譲歩をする可能性は皆無に等しいだろう。WTOドーハラウンドの失敗の轍を踏まないよう、組めるところで組むものと思われる。’To get in, China would have to foster more competition between private companies and state-owned enterprises, and boost protection of intellectual property rights, conditions China will have difficulty meeting. (Meckler Laura ‘Obama seeks Renewed Pacific influence’, WSJ (http://online.wsj.com/article/SB10001424052970204323904577036423985081272.html?mod=wsj_share_tweet  20111117日アクセス))

[v][v] ‘Obama’s  Australia Visit Heralds Closer Relations’  Bloomberg (http://www.bloomberg.com/news/2011-11-15/obama-visit-heralds-closer-defense-relations-australia-says.html  2011 1117日アクセス)
[vi] Moss, Trefor ‘Australia : the New Japan?’, Diplomat (http://the-diplomat.com/flashpoints-blog/2011/11/15/australia-the-new-japan/ 20111117日アクセス)

7/13/2011

Lebowと中国の方向性についてのメモ

 IISSの図書館で読んだRichard Lebowの'Why Nations Fight?’(2010 CUP)の抜粋メモ。
  1. The most aggressive states are rising powers seeking recognition as great powers and dominant great powers seeking hegemony.(p112)
  2. Rising powers and dominant powers rarely make war against each other. When they do, rising powers are allied with at least one great power. (p116)
  3. The preferred targets of dominant and rising powers are declining great powers and weaker third parties. They also prey on great powers who are perceived as temporarily weak, preferably in alliance with others. 
  4. So-called hegemonic wars are almost all accidental and the result of unintended escalation (p117)
  5. Unintended escalation and miscalculation of the balance of power have deeper causes than incomplete information. (p121)
台頭した中国の行くコースを考える上で、過去の大国の歴史をデータにしてルボウが導き出した上記の5つの命題は参考になる。(特に1、4、5) 各パワーの定義は: 大国Great power (status conferred on powerful political states by other powerful states) 、新興国Rising power(states intent on gaining recognition as a great power and recognised as such by their contemporaries) 、支配国Dominant (great power that is significantly more powerful than other great powers)。例えば日本は1868-1905年にかけて新興国、1905-1945年の間は大国、戦後は1945-1990年に新興国で1990年からは明示されていないが大国でいいだろう。 中国PRCは(1949-1990 Rising 1990-present Great)とルボウは定義している。支配国、ドミナントパワーとして挙げられているのは France (1659-1815)と US (1918-)の二カ国のみ。英国に関しては17世紀後半から今日までの300余年にわたって一貫して大国Great powerと本書ではされている。

新興国と支配国が戦うことは極めて稀とされる。例としてはフランスが1648年ハプスブルク家のスペインに攻撃したケースと、PRCが朝鮮半島で米軍と交戦した2例のみ。ルボウの提示しているデータでは支配国が仕掛けた戦争は24あり、新興国から始めたのは27例とされている。新興国の起こした戦争のうち10が大国であり、そのほとんどが大国か支配的国家と同盟を組んでのもの(例:1740年のフランスとともにオーストリアに攻撃したプロイセン)。支配的国家が新興国に対して戦争を仕掛けた事例はなく、相手は大国が9、衰退国declining powerが5、弱小国weak power相手が10とカウントされている。基本的に大国を巻き込む戦争では仕掛け側は敗北しており、全てのシステミックな戦争を仕掛けた支配国・大国は敗れている。

 21世紀においてRising Great powerである中国がどのような方向に進むか、歴史に照らし合わせれば中国が覇権(hegemony)を追求するかによるところが大きい。ルボウの枠組みでは中国は既にRising powerからGreat powerになっているので2の命題には当てはまらないだろう。これまでのところ新たに台頭してきた大国はその時の覇権国と衝突してきた、とされている。Hu,Angang  (2011)は ‘China in 2020: A New Type of Superpower’ Brookings Institution Pressで「現代の相互依存の世界のため、超大国(アメリカ)と勢力圏、天然資源、市場へのアクセス、軍事力の優越を巡ってゼロサムの競争をしない、従来のルールの例外に中国はなるだろうと主張している。
 
 一度assertiveな外交方針を見せてから再び平和的台頭に軌道修正するのは難しい。アイケンベリーが言う既存のリベラルな国際法秩序レジームの中での国益追求も、先般のWTO敗訴や南シナ海の領土係争で海洋法に関する国際連合条約(UNCLOS)を否定するような構えなどを踏まえると、おそらく壁にぶち当たると思われる。もっとも、米中衝突の機会が増え、突発的で想定外のエスカレーションが起こるとしても、その理由はリアリストたちが重視する勢力均衡の変化や国際システムの構造より、中国の国内政治要因が大になるのではなかろうかと現時点では見ている。

 戦略文化から考察しても、せいぜいactive defenceであって冒険的な拡大政策とは認識しない。中国はこの20年でグローバルなプレイヤーになった、つまりそれだけ経済成長し発展したことでこれを維持する資源獲得は共産党体制維持の見地からもさらに死活的なものになっている。ペルシャ湾から南シナ海までの長いSLOCの安全確保はそれこそ日本と同様に重要であり、裏を返せばかの国の柔らかい腹でもある。東アジアでは海自、インド洋ではインド海軍を、圧倒的な優位を誇る米海軍と共に警戒することになる。大国化に伴う問題はもう一つある。それは自国のパワーをいかに扱う(tame)か。南シナ海で現実のものとなっているが、不器用な振る舞いは周辺諸国を米国側に追いやって対中包囲網の形を作らせることになる。ナイが指摘しているように、中国を封じ込めるのは他ならぬ中国というやつだ。米国の対応はLyle Goldsteinが提言しているが、介入したい誘惑に駆られず、柔軟に実践的に、「外交」「対話」で中国を宥め賺すことになろう。Engage but hedge、仮に中国が非協力的であったら、その時はほぼ自動的に東アジアに米国にとって好ましい態勢が出来てくる。

6/17/2011

Trapped Giant, Fragile Superpower

 中国経済は日本の約20年後ろを歩んできたし、そうなると近い将来に同じ過ちを犯すかもしれない。2008年の金融危機以後、一見その力強い経済成長を維持してGDPで日本を抜いた中国であるが(北京大学のMichael PettisなどはそのGDPが過大ではないかと見ている)、その先行きの不確実さを多くの論者が指摘してきた。つい先日には、Financial TimesのMartin Wolfが今の中国とバブル前後の日本を比較している記事を書いた。かねてより私は、China as No.1はJapan as No.1と同じ末路を迎えるのではないかという仮説を持ってきた。度々取り上げられている不動産バブル、他の新興国と同様上昇傾向にあるインフレ(最新の数字は5.5%、食糧価格の11.7%上昇が牽引)、米国との摩擦を引き起こしている人民元問題に、輸出主導投資ベースから国内消費促進の構造転換、と個人的にはプラザ合意、前川レポート、バブル経済といった日本の80年代後半に起こったことを彷彿とさせる。

 2013年以降に中国経済はハードランディングすると最近Mr.Doomルービニが色んなところで言っているが、Project Syndicateに寄せられた彼の論考によれば中国経済は弱い通貨と輸出主導産業に支えられ、高い家計や企業の貯蓄率と固定資本投資(Fixed investment)に結びついてきた。そして金融危機以後にリセッションを避けてきたのはただ単に固定資本投資が爆発的に増えてきたから、と彼は指摘している。ルービニが問題点にあげているのはこの過剰投資は供給過剰につながる、人のいない空港やゴーストタウンを出現させ、利益を生まない無駄な事業への資金貸し出しを増やすことになるなど。これらは将来、不動産市場の価格急落が引き起こすであろうバランスシート毀損(リチャード・クーは中国もまたバランスシート不況に陥ると見ている、'There will be blood'とは刺激的な題だ)と一緒に強力なデフレの罠となって中国経済をスローダウンさせるのではないか。

 端的にまとめても中国経済の直面する課題の多くは、極端な格差(ジニ係数は2010年時点で0.47! 最も成功した社会主義と揶揄された日本より遥かに貧富の差に開きがある)を除けば、実にかつての日本に類似していると言えそうだ。太田述正氏は「中国は自由民主主義抜きの日本型経済体制を採用している」と考えている。金融危機以後の「国進民退」、政官が間接的に影響力を行使している日本よりダイレクトにコントロールされている生産性の低い国有企業が強い経済というのは市場を歪め持続可能ではないだろう。日本と中国の違いは、後者はまだプラザ合意のような急激なレート調整を回避していることか。一方で、副産物として米国債の保有が積み上がっているのは(この米中の関係は双方にとって健全でない、解消するのが互恵的という論説があるが、これは別の話)、対外的なショックへの対応を可能としても、日本のバブル崩壊のような国内の危機に際しては助けとならない。中国が日本をモデルとして経済体制を構築してきたという説が正しければ、いやそうでなくとも、現状を打開しLost Decadeを迎えないよう教訓を得ていると考えられるかもしれない。しかし This time is different, China is different(今度は違う、中国は違う)と楽観的な見通しを私は得られない。

 中国はチェスや将棋で言うところの詰み・チェックメイトにはまったのではないか? その答えはルービニの御神託では2年後にわかってくるだろう。台頭する中国は強大化していると同時に脆弱さも増しているように見える。インフレーション対策に金融政策を引き締めれば、資産バブルが急に弾けたりしないか(Pettisはこの点、金融危機よりも数年に渡る経済のスローダウン説をとっている) 日本の二の舞になるかどうかは政治指導者にもよるところがあるが、「中国政府は有能だが、水の上を歩くことはできない。中国が今後10年間歩かなければならないのは荒れた水面だ」というマーティン・ウルフの記事の結びで指摘している。そして中国がハードランディングすることになったとき、果たして経済面での困難が政治にいかなる影響を及ぼすか。2012年に来る新しい指導層はその船出から大きな時化に備えなければならないだろう。

5/02/2011

Has Justice been done?

パキスタンの都市Abbottabad(首都イスラマバードから40マイル)において米軍作戦部隊がOsama Bin Ladenを急襲、殺害したニュースはたちまち世界を駆け巡りました。


http://www.nytimes.com/2011/05/02/world/02osama-bin-laden-obituary.html
http://online.wsj.com/article/SB10001424052748704569404576298063240517794.html





米国にとっては10年目の一区切りをつけることができる、明確な「戦果」を挙げたということができるでしょう。またビンラディンを仕留めた場所がパキスタンであった事実から、戦場をアフガニスタンから広くAFPACに広げた現政権下での判断は的確であったと評価されるものと存じます。作戦の成功にインテリジェンスが大きな役割を果たしたことはオバマの声明にもあるとおりでしょう。

'after years of painstaking work by our intelligence community, I was briefed on a possible lead to bin Laden. '


'And finally, last week, I determined that we had enough intelligence to take action and authorized an operation to get Osama bin Laden and bring him to justice.'


この上ない政治的な勝利を、ビンラディンの捕捉・殺害はもたらしたと言えるでしょう。多大な犠牲を伴っている、アメリカの最も長い戦争はその政治目的の一つを遂に達成したことになります。同時に、これが終結を意味しないことは広く共有されている認識であります。ビンラディンの死は彼のイデオロギー、Jihadistを生むイスラム過激主義の終わりを意味しません。首魁を倒してもアルカイダとその分派ら国際テロリズムのネットワークが消えるわけではありませんし、アメリカが直面している課題の多く、アフガニスタンでの軍事キャンペーンや中東の騒擾に変化をもたらしません。手短にまとめれば、現時点ではアメリカ国内に及ぼすほどの影響を国際情勢にはもたらさないものと考えます

ビンラディンの死は実際的には印象ほど重大なものではありません。今回の作戦成功は強烈なブローであるし、死んだビンラディンはアイコンとしても米軍の手を逃れて生き延びていたビンラディンほどの求心力を持てないでしょう。しかしながら長らく彼はオペレーションの指揮をとっておらず、近年は象徴的ではあるがマージナルな存在に過ぎませんでした。例えばal-Awlakiが率いるイエメンを拠点にしているアルカイダの分子は依然として脅威としてあり続けるでしょう。相手は単なるカリスマ的リーダーに統率された組織ではなく、この瞬間もネット上のコミュニティなどを通じて不満と不安のあるイスラムの若者に吹き込まれる、過激主義そのものでしょう。

4/30/2011

日(米)豪「同盟」?~傾向と障壁

オーストラリアの安全保障

1.アングロサクソンのspecial relationship
昔:大英帝国(※当時の潜在脅威は大日本帝国)→今:米国
but...両者とも豪本土から離れている→自立した国防政策((self-reliance)の追求。(White, 2009) 


・1971年 英豪NZ+シンガポール&マレーシア五ヶ国条約(Five-Power

Pact)

・1951年 オーストラリア、ニュージーランド、米相互安全保障条約」Security Treaty between Australia, New Zealand and the United States of America: 通称「ANZUS 条約」・・・核の傘、インテリジェンス

米豪関係については近年・・・

2005 年の米豪閣僚協議で「米豪統合共同訓練センター」(Australia-US Joint Combined Training Centre: JCTC)の創設に関する覚書(MOU)人道支援や災害救助などの国際平和活動協力のあり方を追求する「拡大地域平和活動機能」(Enhancing Regional Peace Operations Capability) 米空軍のB-52、B-1、B-2 といった戦略爆撃機による訓練をノーザン・テリトリーの訓練地域で実施するという「戦略爆撃機訓練計画」の3 点で合意した23。軍事技術・装備関連の貿易の分野においても、近年、米豪同盟関係には著しい進展が見 られる。米豪両政府は2007 年9 月、「国防関連貿易協力に関する条約」(U.S.-Australia Treaty on Defence Trade Cooperation)に調印」(片原、2009年、p53)


と後述するように対米協調を軸とするハワード政権下で安全保障面での関係進展が見られた。
同じく後述するように、この米豪関係の緊密さが日本の政策当局の豪州接近の一因と言える。

2.政党と基本対外政策(ミドルパワー外交)

自由党(ハワード政権):主に米国との二国間関係を重視。
ex.)ポスト911、1952年以来のANZUS条約発動によるアフガンおよびイラクにおける対米協力
     2003 年12 月米国のミサイル防衛計画への参加を表明 (片原、2009)


「対テロ軍事作戦に、陸海空軍の兵士1,550 人の派遣に加え、特殊部隊(SAS)150 人
と空中給油機2 機の派遣を発表した。その後、P-3C 哨戒機3 機、F/A-18 戦闘攻撃機4 機、
司令艦1隻、誘導ミサイルを含むフリゲート艦2 隻、揚陸艦1隻の派遣を順次決定し、対
米軍事支援を深化させた。米国のイラク戦争に対しても、ハワード政権はブッシュ政権に
強い支持を表明し、特殊部隊150 人を含む約2,000 人の実戦部隊を派遣した」(p47)


労働党(ラッド→ギラード政権):アジア太平洋コミュニティ等の多国間志向。
ex) ロバート・ホーク(Robert Hawke)、ポール・キーティング(Paul Keating)政権下でのアジア太平洋経済協力(APEC)を積極的推進。ケビン・ラッド前首相、現外相の対中友好的スタンス?



3.国防政策
Defending Australia in the Asia Pacific Century: Force 2030, released in May 2009
主たる役割:従来型の敵正規軍との戦闘+国際平和維持活動、安定化任務。

・直接的な脅威の不在、しかしガバナンスの不安定な近隣小国に囲まれている(an arc of weak states)
→東ティモール、パプアニューギニア、ソロモンへの多国籍軍としての派兵介入

・近年は中国の台頭がアジアの戦略秩序に及ぼす影響、ならびに米国の優位の挑戦を注視。

防衛費と装備調達:
ハワード政権下2007年の白書では2016年までに実質GDP比3%まで引き上げを目標。
F/A-18Fスーパーホーネット(24)、C-17 輸送機(4) Wedgetail早期警戒機(6) 60エイブラムス戦車の調達を決定。またネルソン国防大臣(当時)はRANがイージスシステム搭載の駆逐艦3隻を約80億豪ドルで調達することを発表(2014~2017年間に完了予定) (IISS, 2007)
さらにJSF(F-35)やプレデター無人偵察機の取得も追求。

日豪の安全保障関係

1.日豪関係の発展は経済→政治・文化交流→安全保障


'Since the 1957 Commerce Agreement senior officials in Tokyo and Canberra have
explored strategies to broaden the base to enhance the political and cultural dimension.'(Walton, 2008:75)

1980年代半ばよりAPECの枠組みで地域の問題で、また1998年には金融危機に陥ったアジア諸国を支援する中で協力の幅を拡大・深化。

1995年日豪パートナーシップ共同宣言(Joint Declaration on Australia–Japan Partnership)

1997年 ハワード・橋本政権で毎年の首脳会談開催をトップレベルの関係制度化の一環として合意。


・同時多発テロ以降の両国の協力加速(+米を交えた三ヶ国)

ex)小泉政権下で、国連下で東ティモールに自衛隊700名を派遣
2003年、米国を加えた三ヶ国戦略対話(trilateral security dialogue,TSD) を事務方レベルで開催。              

2005年2月以降、数百の豪軍兵がイラクAl-Muthanna地方でJSDFとともに活動。(Walton)

2007年 安倍・ハワード、日豪安全保障協力宣言(Japan-Australia Joint Declaration on Security Cooperation,JADSC)
(2006年、麻生・ダウナー ‘Building a Comprehensive Strategic Relationship’の共同声明)

→従来のアジア太平洋における‘hub and spokes’から‘webs’への試み。(Bisley,2008)
日豪2+2(外相・国防相)会談の定例化、閣僚級での日米豪TSDの開催。

政治的シンボリズム、運用レベルでの協力の限界(日本の国内政治的制約)、対中脅威認識の相違。

背景)
両首脳の親豪・親日的姿勢? ハワード首相の7度の訪日(Walton, 2010)
小泉・ハワード時代の対米協調
ブッシュ政権下での米豪a special relationshipのアップグレード

'Indeed Australia’s close ties to the United States and access to policymakers and
intelligence material in Washington, which to a large extent was a result of the Howard –
Bush relationship, arguably gave Australia new-found credibility with Japanese
policy-makers and the Japanese government' (Walton, p79)

豪州にとっては日豪は二国間の関係だけで捉えられない。
日米豪・日豪中・米豪中の三角形の一辺、bilateralismとmultilateralismのバランス(ASEAN地域フォーラム、東アジアサミット.. etc) (Donna, 2011)


参考文献)

片原「米豪同盟関係の動向と今後の課題」防衛研究所紀要第11 巻第3 号(2009 年3 月)

Bisley, Nick(2008) 'The Japan-Australia security declaration and the changing regional security setting:
wheels, webs and beyond?', Australian Journal of International Affairs, 62: 1, 38 — 52

Jain, Purnendra(2006) 'Japan-Australia security ties and the United States: the evolution of the trilateral
dialogue process and its challenges', Australian Journal of International Affairs, 60: 4, 521 — 535

IISS  'Australia's growing regional role', Strategic Comment Volume 13 Issue 06 August 2007

Walton, David(2008) 'Australia and Japan: Towards a New Security Partnership?', Japanese Studies, 28:
1, 73 — 86

Walton, David(2010) 'The Role of Prime Ministers in Australia-Japan Relations: Howard and Rudd',
The Round Table, 99: 409, 429 — 437

Weeks, Donna(2011) 'An East Asian security community: Japan, Australia and resources as 'security'',
Australian Journal of International Affairs, 65: 1, 61 — 80

White, Hugh(2009) 'Australia's Different Defence Policy', Survival, 51: 5, 173 — 184

2/12/2011

Democracy cannot be built overnight.

(2011年2月11日のTLを下敷きにした論考です)

午前2時、BBCは引き続きカイロの通りから人々の喜びの声を伝える。歴史的な瞬間、機会の訪れである点に疑問の余地はない。

さて、エジプトにデモクラシーは無理だと考えるなら貴方はオリエンタリズムに染まっているかもしれない(民主主義は普遍的な価値じゃないの?)。今のエジプトがダイレクトに民主政体に移行できると考えているなら貴方は歴史を知らない(デモクラシーは時間がかかる)。

ムバラクは大統領を辞任しその独裁に終止符が打たれたが、彼の築き上げたautocracyは変わらず残っている(1)。ではその仕組みは悪だと更地にしてしまえばイラクになるかもしれないし、ラディカルな改革に失敗すれば10年でKGBマフィアがクレムリンを奪還したロシアになりえる?(2)。仮に無事に選挙が一度、二度行われても安心するのは早過ぎる。エジプトのアレクサンドル・ルカシェンコや、(彼よりは少々穏健な)ウーゴ・チャベスが誕生しないとどうして言い切れるのだろう? (大統領制から議院内閣制に移行しないとこのリスクは高まるというのが私見)

先ずは広場の民衆が一人の独裁者を失権させたことを称揚したい。しかし民主化の離陸が上手くいく見込みは現状、相当難しいものだと冷静に指摘したい。ドイツのシュピーゲル誌がエジプトの今後のモデルについてビルマ(軍政)、トルコ、イラン(イスラム革命)の3つの可能性を挙げていたが、英チャタムハウスのFari Haruka氏はトルコとエジプトの相違点を洗い出す。

Turkish military anchored Turkey in European institutions and traditions. [...] By contrast, the Egyptian military is deeply integrated in the political system ,with generals-turned-politicians the rulers of the land. It has never sought to emulate Western political values or industrialize (3)

政軍関係についての彼の指摘はもっともだろう。トルコは軍のクーデターが4度ありながらも、文民政治家が概ね統治してきた蓄積があった。一方、エジプトはナセル、サダト、そしてムバラクのいずれもが軍人出身と、政府中枢と軍が固く結びついてきた歴史がある。実際、今次革命で軍部はニュートラルな位置にあったが、かといってチュニジアのベン・アリ(彼は軍と距離があった)みたくムバラクを追い出しはしなかった。

もっと重視すべきなのはエジプトが十分な経済基盤を有していないという点だ(デモクラシーは安くない)。8000万人を超える人口を抱えるアラブの「大国」、しかし2010年の一人当たりのGDPはIMFのデータでは3000ドルに満たない。安定した民主政体には一定のレベルの所得が必要であるというPrzeworskiとLimongiの研究がある(4)、これを踏まえると、民主政治が根付く前にひっくり返ることは大いに有り得るのだ。今回の「革命」の背景に高い失業率、食糧価格の上昇という経済的要因が挙げられる(イデオロギー、Islamismに突き動かされたものではない)が、他方で民主政体は必ずしも経済発展を約束しないという問題もある。今日の熱狂が、いつしか失望へと変わって民主主義の価値が損なわれなければいいのだけど。

加えて、エジプトの民主政がマイノリティーたるコプト・キリスト教徒にどれだけ寛容でいられるかには疑問が残る(5)(6)。OK、広場でムスリムとキリスト教徒が協力する象徴的な写真に胸を打たれたかもしれない。だが個人的にはその協力はあくまで独裁者ムバラクがあっての「バランスオブパワー」と見ている。

と、リアリストの性として悲観的に見てしまうけれども、これは短期的な分析。国民にそれなりに受け入れられている、群衆に銃口を向けず結果的にムバラク失権の遠因を作った国軍が、漸進的な改革を進めつつ、長期的には民主化へ進んでいけるという可能性はある。エジプト政治のエディフィスを維持しつつ(イラク化を防ぎ)、政治的な計算を以て人々の要求を満たすよう計る、というのがリアリスト的に好ましいシナリオ。(ムスリムブラザーフッドMuslim Brotherhoodの伸張をそこまで警戒する必要はないだろう。国軍との協力なくして権力を安定して行使することはできないし、だいたい、彼らはあくまで今次の革命で「二列目」の存在だったわけで)
the army may step in as a transitional power and recognize that, as much as it might like to, it cannot return to complete control. The Egyptian military is far more professional and educated than it was in the 1950s, so many officers may recognize the benefits of a democracy. More likely, however, is the culmination of the slow-motion coup and the return of the somewhat austere military authoritarianism of decades past.
というゴールドバーグ氏(Goldberg, 1)の最後の指摘だが、この逆の見方を私は取る。結局、エジプトの軍部というのは年1.3億ドルの支援をアメリカから受けているし、次世代を担う人間はデモクラシーの利点を理解しているし、最終的に民主政体を確立できるかどうかについては悲観的ではない。自由民主主義諸国においては、出来る限りのアシストをして、自分たちの信じる価値が真に普遍的であるかが試されている。もちろん、最後はエジプトの民衆の手にかかっているわけで、彼らにとっても民主化に辛抱強く取り組めるか、本当にテストされるのはこれからになる。

チュニジア、エジプトで起きた一連の出来事を見て、Twitterなんかでカイロの人たちと一緒に多幸感(euphoria)を得られる方々は羨ましいものだ。昨年12月19日のミンスクの違う結果を、色褪せてしまった「バラ」と「オレンジ」の革命を思えば、一時の「勝利」など虚しいものさ。


(2)The End of Mubarak, but Not the End of Autocracy:
(6)Coptic Christians Worry About Future Without Mubarak http://on.wsj.com/fbdkze

2/03/2011

そして「歴史」は動き出す

'We all are capitalists now!'

資本主義は勝利した、二つの生活様式を巡る戦争に。Niall Fergusonは「資本主義を最適な世界経済のシステム」と言った類のことをEmpireの中で書いているが(そしてそれを広めたのを大英帝国の業績の一つとしている)、この点に異論を挟む者はそうはいないだろう。クレムリンには旧ソ連KGB出身者が多数いるが彼らはもう共産主義者ではないし、中国「共産党」員は資本主義の腐敗した豚なのだ。資本主義は全球的に勝利を収めた、ウーゴ・チャベスや金正日のようなスターリニストの暴君が治める一部の忘れられがちな辺境を除けば。

2009年11月2日、ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス。鉄のカーテン崩壊から20年を振り返るシンポジウムで、ベルベット革命の主役の一人だったVaclac Havelはその後の自らの過ちの一つを「エコノミストを信頼しすぎたこと(too much believe the economist)」と笑った。(彼はこの時、ニューヨークの国連でチャベスに「あなたは私の先生だ」と言われたエピソードを紹介してくれた。「どうやら私は悪い教師だったようだ」と聴衆を笑わせたのをよく覚えている) 彼のみならず、集った当時の東欧の指導者たちは口を揃えて自由な社会、市場経済、統合された欧州の一員であることを指して「夢は叶った」と言った。

資本主義は勝利した。一方でFrancis FukuyamaがThe End of Historty and the Last Manでぶち上げたような、自由民主主義は冷戦終結後から20年を経てもなお専制国家と独裁に対して完全なる勝利を収めてはいない。昨年12月19日の選挙直後に欧州最後の独裁者Alexander Lukashenkoは対立候補や批判者を投獄した(これに対して英独の外相はWSJに寄稿'Standing Up to Lukashenko’: http://on.wsj.com/g7CFjd EUとして独裁体制に厳しく臨むことを呼び掛けている)。またモスクワに民主主義があると信じるのは北朝鮮が地上の楽園だと信じるようなものだし、2000年代半ばのカラー革命もすっかり過去の話だ。アフリカ、アジア、そしてアラブではいくつもの国家で独裁・専制体制が健在であり、その権力基盤を維持してきた。

2011年は幕開けから北アフリカ、旧仏植民地の警察国家チュニジアで発生した「ジャスミン革命」から始まった民衆の大々的な独裁政権に対する抗議の津波がエジプトを、そしてヨルダン、イエメン、シリアをと相次いで揺さぶっている。既に忘れられてしまいそうだが、住民投票で南スーダンが独立してアフリカ54番目の国家が誕生する運びになったのもこの1月の出来事のなのだ。

我々は今「歴史」が再び動き出したのを目撃しているのだろう。その先に待ち受けているのはデモクラシーの理想だけではない、現実も。デモクラシーに約束された勝利はない。デモクラシーは一日にして為らず。ネオコンのように(1)、もっともネオコンだけがデモクラシーを抱擁できる所有者ではないのだが(2)、民主主義が独裁を倒してハッピーエンドと素朴な夢を見るわけにはいかない。


(1)Egypt protests show George W. Bush was right about freedom in the Arab world 
(2)‘Right all along’? - neo-conservatism and the Middle East demonstrations 

ここに「歴史」の再開を宣言する。そして「歴史の終わり」に向かっての戦いを眺めていく。