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11/30/2011

そう、シリアはリビアより難しく、ダルフールより酷くない。

 昨日公表されたUNHRC Report of the international commission of inquiry on the Syrian Arab Republicはアサド体制下で人道に対する罪(Crimes against humanity)が起きていることに言及している。処刑、拷問、婦女暴行・・・・・・11月8日時点の報告で3500名以上が春よりの騒乱の中で命を落とし、そのなかに256名の子供が含まれている事実に、深い怒りとそれから失望を禁じ得ない。調査委員会はまた抗議側の暴力行為についても認識しているが、それでも大多数の人々が平和的なデモを行なっていたにもかかわらず、当局側の過剰な武力行使で殺されたことを明記している。軍や治安維持部隊からは脱落者逃亡者が出ているし、最近はFree Syrian Armyなる反政府軍が政府側の施設を攻撃するなどシリアは現在内戦の淵にある、いやもう内戦状態と言っていいのかもしれない。

 リビアに介入した末に大佐が死んだ一方で、シリアのアサドに対して目に見えるアクションを起こさないのにはそれなりに理由がある。シンプルなのは、中露は今度は軍事介入に繋がる国連決議を安保理を通過させないということだ。結局のところUNのmandateなしにできることには限界がある。現状のようなアラブ連盟やトルコも加えて制裁等の外交圧力では流血は止められない。もう一つ、シリアへの介入は意図せざる悲惨な結果をもたらすことが十分予見される。シリア国外に飛び火する、「爆薬庫」としての中東を考えればそのリスクを冒したい政治家はそうはいないだろう。そもそも自国財政が火の車の欧米がオペレーションにかかる負担にどれだけ耐えられるのかってのも疑問だ。リビアは半年とちょっとで片付いたが、長引けば介入は失敗に終わり、NATOと主導した国々とその首脳は政治的に相当傷ついていたろう。

 3500という数字は国際社会を動かすのには足りない、と冷酷に捉えるか。先の10年間では30万人が亡くなったダルフールを何年も放置していたのだしね。リビアだったら石油権益の見返りがあったけど、シリアへの自由主義的介入はただ働きどころか大損になるかもしれない。空爆にせよ海上封鎖にせよ、費用を負担する納税者のご機嫌を伺うことを忘れてはならない。それに何より、リビアの「成功」で浮かれてシリアにも手を広げれば、コソボ、シエラレオネと自由主義的介入路線を突き進んでイラクで落とし穴に落ちたあの労働党の首相の二の舞にもなりかねないし。

 価値や倫理を信奉していない世俗的リアリストなら、シリア国民が1万人死んでも地域の安全保障の不安定化を引き起こさないうちは無視してもいいのかもしれない。経済制裁や外交圧力をかけていれば体制側が折れて弾圧を止める、淡い期待だがそれを選んで行動しないのがrealisticで戦略的なのかもね。でもね、このまま手をこまねいていて、アサドの脅しに屈したかのような形になっていいの? 介入によって減らせたかもしれない犠牲を許容するの? Responsibility to protectはどうなるの? と自由主義的介入主義者として、またDoctrine of the International Communityの支持者として疑問を投げかけておきたい。その提唱者の、1999年のシカゴ経済クラブでのスピーチから以下の箇所を引用しておく。

This is a just war, based not on any territorial ambitions but on values. We cannot let the evil of ethnic cleansing stand. We must not rest until it is reversed. We have learned twice before in this century that appeasement does not work. If we let an evil dictator range unchallenged, we will have to spill infinitely more blood and treasure to stop him later.


 正戦論(Just War Theory)や倫理的対外政策(ethical foreign policy)が絶対的なものであるとは言わないが、スレブレニツァ、ルワンダ、コンゴ、ダルフールに続く事例を作りたくはない。克服しなければならない法的能力的制約と限界が多く残っているのは事実だし、また我々は判断を誤りもするだろう。それでも、ここで国際社会が十分に行動しないことは幾らかの批判を浴びなければならない。

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