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5/02/2011

Has Justice been done?

パキスタンの都市Abbottabad(首都イスラマバードから40マイル)において米軍作戦部隊がOsama Bin Ladenを急襲、殺害したニュースはたちまち世界を駆け巡りました。


http://www.nytimes.com/2011/05/02/world/02osama-bin-laden-obituary.html
http://online.wsj.com/article/SB10001424052748704569404576298063240517794.html





米国にとっては10年目の一区切りをつけることができる、明確な「戦果」を挙げたということができるでしょう。またビンラディンを仕留めた場所がパキスタンであった事実から、戦場をアフガニスタンから広くAFPACに広げた現政権下での判断は的確であったと評価されるものと存じます。作戦の成功にインテリジェンスが大きな役割を果たしたことはオバマの声明にもあるとおりでしょう。

'after years of painstaking work by our intelligence community, I was briefed on a possible lead to bin Laden. '


'And finally, last week, I determined that we had enough intelligence to take action and authorized an operation to get Osama bin Laden and bring him to justice.'


この上ない政治的な勝利を、ビンラディンの捕捉・殺害はもたらしたと言えるでしょう。多大な犠牲を伴っている、アメリカの最も長い戦争はその政治目的の一つを遂に達成したことになります。同時に、これが終結を意味しないことは広く共有されている認識であります。ビンラディンの死は彼のイデオロギー、Jihadistを生むイスラム過激主義の終わりを意味しません。首魁を倒してもアルカイダとその分派ら国際テロリズムのネットワークが消えるわけではありませんし、アメリカが直面している課題の多く、アフガニスタンでの軍事キャンペーンや中東の騒擾に変化をもたらしません。手短にまとめれば、現時点ではアメリカ国内に及ぼすほどの影響を国際情勢にはもたらさないものと考えます

ビンラディンの死は実際的には印象ほど重大なものではありません。今回の作戦成功は強烈なブローであるし、死んだビンラディンはアイコンとしても米軍の手を逃れて生き延びていたビンラディンほどの求心力を持てないでしょう。しかしながら長らく彼はオペレーションの指揮をとっておらず、近年は象徴的ではあるがマージナルな存在に過ぎませんでした。例えばal-Awlakiが率いるイエメンを拠点にしているアルカイダの分子は依然として脅威としてあり続けるでしょう。相手は単なるカリスマ的リーダーに統率された組織ではなく、この瞬間もネット上のコミュニティなどを通じて不満と不安のあるイスラムの若者に吹き込まれる、過激主義そのものでしょう。