昨年12月20日に国連安全保障理事会決議で北アフリカの国マリに対する軍事介入がオーソライズされ、西アフリカ諸国経済共同体(ECOWAS)を中心に、NATO諸国も関与しての軍事介入が今年起こることは予期されていたことでした。
同国の事情は(やはり関係がないので)日本から見ればあまり馴染みがないものと思いますが、2011年から続く、中東・北アフリカの混乱の上にあるものと理解していただければ良いでしょう。
事の発端はリビアの「革命」です。
カダフィ政権が倒れ、国内の統制が喪失し、畢竟、国境管理もルーズなものとなったため、内戦時に使われた武器兵器の類が近隣諸国に流出してイスラム過激派の武力が強化され、加えてこの戦争に参加し経験を積んだ戦士がマリに戻ってきました。
最初に北部マリで勢力を拡大したのは少数民族トゥアレグで、彼らの勢力MNLA(アザワド解放民族運動)はマリ軍を追い払って2012年4月6日に独立を宣言、アザワドを建国しようとしました。
一方、首都バムコでは3月21日に、リソース不足で政府に不満を募らせていた軍部によるクーデターが発生し、最終的にトゥーレ大統領の辞任とトラオレ国会議長の暫定大統領就任という、体制変革を余儀なくされ、とてもアザワド奪回に乗り出せる状況ではありませんでした。
これだけでも(少数民族勢力独立+軍事クーデター)相当な混乱ですが、マリのカオスはまだ終わりません。
トゥアレグ勢力MNLAは当初イスラム武装勢力「アンサール・ディーン」や「西アフリカの統一・聖戦運動(MUJWA)」らと共同戦線を張り、5月26日には一時アザワド・イスラム共和国の成立で合意したとされました。
しかし「民族自決」を志向したMNLAとシャリーアに基づいた国作りを夢見た「アンサール・ディーン」らの蜜月は短く、6月には両者の盟約は破棄され交戦状態に突入しました。
この衝突はイスラム勢力が優勢で、MNLAは勢力を失い「独立国」アザワドは瓦解し、以来マリの北半分はイスラム勢力の手に落ちることになりました。
(つづく)
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