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7/11/2015

集団的自衛権を今更ながらおさらいする

前回に続いて「安保法制」についてフォローしていきます。法案について掘り下げていく前に、今回の法改正・立法の中心にある集団的自衛権についてやります。

国会の審議を通じて、「集団的自衛権」の「行使」を可能とする「解釈」が合憲か違憲かで、大きな論争が起きましたが、そもそも「(集団的)自衛権」とは何かという話をしたいと思います。

他国に対して武力を行使することは、国際法上許されていないですが、「自衛」、他国の侵略行為や攻撃を撃退し、自国を守る範囲においては認められています。

個人のレベルで言えば、人を殴るのは普通は犯罪ですが、暴漢に襲われた場合に身を守るため・抵抗する上では殴ったり蹴ったりしても「正当防衛」が認められます。

この自衛権に関して、日本国憲法に規定はありません。他国でも憲法に明記しているところはそう多くないと聞きますが、国家の「自然権」としてこれを認めていますし、国際法上では国連憲章第51条で明文化されています。

日本もまた自衛権を保有しています。ここでポイントなのは、政府解釈では「個別的自衛権」も「集団的自衛権」も、「保有している」ということです。

そして「個別的自衛権」は行使もできるが、「集団的自衛権」は行使はできないというのが従来の政府解釈でした。これを昨年7月に安倍政権が「一部できる」という解釈に変更しました。

次に「個別的自衛権」と「集団的自衛権」について見ていきましょう。

自衛権が個別的・集団的に区別されるようになったのは、先の大戦後、南米諸国の働きかけを受けて国連憲章に明記されたのがはじまりです。(その詳細な経緯はこちらのブログに詳しいです)比較的新しく、しかも国際秩序形成を主導してきた欧米によるものではないというのが一つのキーですね。

国連憲章51条の前半(原文)を見てみましょう。

Noting in present Charter shall impair the inherent right of individual or collective self-defence if an armed attack occurs against a Member of the United Nations, until the Security Council has taken measure necessary to maintain international peace and security

個別的・集団的を問わず、「国連安全保障理事会が国際平和と安全を保つために必要な措置を講じるまで」の、窮余の策、つなぎとして認められています。

「個別的」については説明は特に要らないでしょう。危害を加えられた・加えられそうになったら身を守る、そうしなければ侵略され占領され国家が亡くなってしまいます。

交戦権、国際紛争を解決するための戦力を放棄した日本でも、個別的自衛権は否定できません。日本がなくなれば、憲法も存在し得ないですしね。

さて、問題は「集団的」です。日本は攻撃を受けていないがアメリカが攻撃を受けた、という場合です。日本は違法な侵害を受けていないので、武力を行使しなくても無事です。(ここでは同盟や抑止については触れません)

日本政府は「自国と密接な関係にある他国に対する攻撃を、自国の攻撃とみなし、自国の権利が侵害されたとして、他国を守るために防衛行動をとる権利」を「集団的自衛権」としています。ちなみにこの考え方を個別的自衛権合理的拡大説といいます。

個々人のレベルに置き換えると難しい話ではありません。自分以外、家族や友人は言うまでもなく、他人でも強盗・凶漢に襲われているところを武力を行使して助けるのは「正当防衛」であり罰されません。

これを日本という国家で見ると話はややこしくなります。日本は「武力を行使できない」としています。(繰り返しになりますが、日本が滅亡すれば憲法も何も意味を成さないので、個別的自衛権については保有もしているし行使もできるとしています)

国際法で国家として認められた権利がある一方、日本は自らに制約を課しているという状況です。前述のとおり、「自衛権」についての明文化された既定はありません。ゆえに、「個別的」「集団的」自衛権については他の条文から導き出された「解釈」があるのみです。

ここまで集団的自衛権の実態を簡単におさらいしました。

次回はその「解釈」について、これまでの流れを辿っていきたいと思います。

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