今回は戦後の政権における、集団的自衛権の解釈についてフォローしていきます。
2014年7月の政府の憲法解釈変更以来、各方面で取り上げられてきたことから既にご存知の方もいるでしょうが、現行憲法の審議過程、1946年6月26日の段階で、当時の吉田茂首相は「自衛権」について以下のように答弁しています。
「戦争抛棄に関する本案の規定は、直接には自衛権を否定はして居りませぬが、第9条第2項に於て一切の 軍備と国の交戦権を認めない結果、自衛権の発動としての戦争も、また交戦権も抛棄したものであります。 従来近年の戦争は多く自衛権の名に於て戦われたのであります。満州事変然り、大東亜戦争然りであります」 (第90回帝国議会衆議院帝国憲法改正案特別委員会)
憲法を制定する前の審議段階での答弁、もっと言えばサンフランシスコ平和条約で再独立を果たす前の占領下における見解ということで、あくまで参考ですが、「個別的自衛権」も否定しています。
翌1947年5月3日に日本国憲法が施行され、それから約3年後、吉田茂は1950年2月3日、第7回国会において「国際連合憲章第51条で集団自衛権が認められているけど、総理は集団的自衛権を認めますか?」という質問に対し、
「当局者と しては、集団的自衛権の実際的な形を見た上で なければお答えできない」
と述べています。やはり主権回復以前なので参考程度です。ちなみに質問者は大勲位こと中曽根康弘議員(当時)でした。
集団的自衛権について、政府としてはじめて公の解釈を示したのは朝鮮戦争勃発、再独立と時代が目まぐるしく動いていた1951年です。
当時の外務省条約局長の答弁では、(1)集団的自衛権が国家固有の権利であること (2)集団的自衛権は一国の武力行使に各国が個別的自衛権を共同して発動するもの と捉えられていました。
ちなみに(2)は「個別的自衛権共同行使説」で、現在の公定解釈の「合理的拡大説」とは異なっていました。
1951年11月、「集団的自衛権は保有している」ことが明示されるとともに、9条2項を根拠に国外での行使が否定されました。当時は朝鮮戦争の真っ最中、念頭にあったのは朝鮮半島に海外派遣することを米国に要請される事態でした。
しばらく専ら「海外派兵」の文脈で集団的自衛権が議論されることが続きます。
1959年3月に、当時の林内閣法制局長官が「外国の領土に、 外国を援助するために武力行使を行うというこ と」は憲法で認められた自衛権の範囲外と答弁します。翌60年には日本を守るためにアメリカと共同対処するのは「個別的自衛権」だと明確にします。
同年12月、現在の議論でもたびたび援用される砂川事件の最高裁差し戻し判決が出されます。
「九条一項においては 「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求」することを宣言し、 また「国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決 する手段としては、永久にこれを放棄する」と規定し、さらに同条二項においては、 「前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力はこれを保持しない。国の交戦 権は、これを認めない」と規定した。かくのごとく、同条は、同条にいわゆる戦争 を放棄し、いわゆる戦力の保持を禁止しているのであるが、しかしもちろんこれによりわが国が主権国として持つ固有の自衛権は何ら否定されたものではなく、わが憲法の平和主義は決して無防備、無抵抗を定めたものではないのである(中略)わが国が、自国の平和と安全を維持しその存立を全うするために必要な自衛のための措置をとりうることは、国家固有の権能の行使として当然のことといわなければならない(略)。すなわち、 われら日本国民は、憲法九条二項により、同条項にいわゆる戦力は保持しないけれ ども、これによつて生ずるわが国の防衛力の不足は、これを憲法前文にいわゆる平 和を愛好する諸国民の公正と信義に信頼することによつて補ない、もつてわれらの安全と生存を保持しようと決意したのである。そしてそれは、必ずしも原判決のいうように、国際連合の機関である安全保障理事会等の執る軍事的安全措置等に限定されたものではなく、わが国の平和と安全を維持するための安全保障であれば、その目的を達するにふさわしい方式又は手段である限り、国際情勢の実情に即応して適当と認められるものを選ぶことができることはもとよりであつて、憲法九条は、わが国がその平和と安全を維持するために他国に安全保障を求めることを、何ら禁ずるものではないのである」
国家固有の「自衛権」についてはこれでクリアです。問題は「集団的」が含まれるかですが、この点は明示されていません。
時はさらに進みベトナム戦争の頃、「我が国が他国の安全のために兵力を派出してそれを守るとい うことは憲法第9条のもとには許されないだろうという趣旨で、集団的自衛権は憲法第9条で認めていないだろうというのが我々の考え方」と、他国防衛を否定する考えが定着します。
1981年の政府見解で、集団的自衛権の明確な定義(下線部)と、「保有はしているが行使はできない」という解釈が示されます。
「国際法上、国家は集団的自衛権、すはわち、自国と密接な関係にある外国に対する武力攻撃を、自国が直接攻撃されていないにもかかわらず、実力をもって阻止する権利を有しているものとされている。我が国が、国際法上、このような集団的自衛権を有していることは、主権国家である以上、当然であるが、憲法第9条の下において許容されている自衛権の行使は、我が国を防衛するため必要最小限度の範囲にとどまるべきものであると解しており、集団的自衛権を行使することは、その範囲を超えるものであって、憲法上許されないと考えている」(第94回国会衆議院稲葉誠一郎議員提出の質問主意書に対する答弁書 昭和56年5月29日)
朝鮮戦争、日米安保条約、ベトナム戦争といった節目ごとに議論がなされ、解釈が変遷を遂げてきました。国際的に米ソ冷戦期、国内では55年体制下で野党社会党が自衛隊を違憲、日米安保を破棄すべしとする勢力であった、そういう背景で政府解釈が示されてきたのですね。
長くなったので今回はここまでです。冷戦終焉後、自衛隊のPKOやらイラク戦争やらで、従来の日米だけでない、多国間の枠組みを見据えた議論が進んだ過去20余年については、次回以降取り上げます。
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